「労働の質」・・・100円の水を売る人の「笑顔と雑談の価値」
2017-09-09
私は、銀座書斎で仕事をしている間、時間があるときに周辺を散歩する習慣があります。毎日、一定の距離を歩けば、足腰を鍛えることができ、健康にも良いです。
私にとっての散歩は、実は、単なる散歩ではありません。「ものを書く」という行為を仕事とする私にとって、散歩は、言うなれば、地域社会の様相を見たり、あるいは、人間観察としての役割も果たしてくれます。日々の散歩で、大きな気づきに出会ったり、美しいひと時を過ごすこともあります。その一つは、散歩の途中、時々立ち寄るコンビニエンス・ストアーでの経験です。
私が立ち寄るコンビニエンス・ストアーには、65歳前後とみられる男性の店員が働いています。私は、通常、散歩の帰り道に、その店に立ち寄って100円のペットボトルの水を買う習慣があります。水を手に取り、それをレジに持っていくと、その店員は、毎回、素晴らしい笑顔で対応してくれ、健康的な雰囲気で少々の雑談もしてくれます。
100円の商品を買う客に対して、「笑顔で、心温まるコミュニケーションを図るその店員の『労働の価値』」、・・・人生経験が豊富な読者の皆さんであれば、その価値について、すぐにわかるに違いないと想像します。
私自身、その店員が、私に対して、素晴らしい笑顔で対応してくれるとき、「心の中は、完全に、この人のほうが高貴である・健全である」と感じます。本来、コミュニケーションに勝ち負けはありませんが、この店員に会うとき、私自身、常に「自分の至らなさ」を感じます。
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