人間の生における「最大の奇跡」
2018-07-15
「人を導く」ということ、それは、かなり骨の折れる啓蒙活動であると言えるでしょう。
わたくし自身、「ものを書く」という行為を、自分の人生の大黒柱としています。また、「書く」という行為と同時進行で、教育にも携わっています。
「教育」、・・・大別すると、そこには、二つの様相があります。一つは、(1)「学習者に対して知識を与えること」。そして、もう一つは、(2)「知識を与えることに加え、学習者本人を一人の人間として改善・向上・発展させること」。わたくしは、毎日、後者を実行する日々を過ごしています。
「知識の伝授だけでなく、学習者を一個の人間として成長させ、仕上げていく」、・・・このような教育活動・啓蒙活動は、言葉として口で言うほどに簡単なことではありません。
わたくし生井利幸は、迎える一日一日において、「この地球に存するすべての人間は、自己に与えられた『生の時間』をどのように使うべきか」という問題について哲学しています。このような問題意識の下、わたくし自身、「自己の限られた生の時間」を毎日失っているわけですから、自らの教育活動において、「その限られた生の時間」の価値がわかる学習者を最優先して導かざるを得ません。大人に対する教育においては、そうすることが真の平等と言えるでしょう。
「死」は、決して他人事ではなく、今日の今現在、自分に訪れても何の不思議もありません。そもそも、生きているという事実そのものが、「人間の生における『最大の奇跡』」なのです。
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