「崇高なる精神ステージ」を樹立すると、本質・真理への道筋が見えてくる(一部修正)
わたくしは、自己の生における「極めて限定された時間の大部分」を使って、「ものを書く」という行為を行っています。「ものを書く」、・・・わたくしの場合、その、「もの」とは、「本質」であり、「真理への導き」のための道筋を対象としています。
わたくしは、迎える一日一日において、普遍的立ち位置から「書く」という行為と同時進行で、それを実際に具現化するために、「教育」「啓蒙」に取り組んでいます。
「教育」、・・・大別すると、そこには、二つの様相が存在しています。一つは、「学習者に対して知識を与える」ということです。そして、もう一つは、「知識を与えることに加え、学習者を、一人の人間として改善・向上・発展させる」ということです。わたくしは、日々、迎える一秒一秒において、後者を実行する日々を過ごしています。
「知識の伝授だけでなく、学習者を一人の人間として成長させ、仕上げていく」、・・・このような教育活動・啓蒙活動は、言葉として口で言うほどに、決して簡単ではありません。
執筆するという行為は、時間・エネルギーを投入して執筆した分、その仕事量が目に見える形で残ります。その反面、「人を教える」という行為においては、どのように膨大なる時間・エネルギーを注いでも、注いだ時間・エネルギーに比例して、教授者の計画・期待通りに、学習者が成長するとは限りません。
経験的法則から言えることは、成人に対する教育においては、「学習者において、『崇高なる精神ステージ』を基盤とした前向きな学習意欲の存在」が必須であるということです。
「崇高なる精神ステージ」、・・・これをわかりやすく述べると、「清らかな学びの精神」です。
清らかな存在者になるには、まず第一に、学習者が物質至上主義社会に生きることによって、無意識のうちに「自分の中に侵入してしまっているたくさんの固定観念」の存在を知ることが必要です。固定観念の存在を知ったら、その後、自分を浄化し、「それらの固定観念を一掃すること」が必要不可欠となります。
わたくしの下で学んでいる学習者の中で、「自分に内在する固定観念の一掃の方法(取り払う方法)について知りたい人は、躊躇することなく、わたくしに相談してください(躊躇することは、直接、「人生における限られた時間」を無駄にします)。