読み物カテゴリ: ‘文化・芸術論’
私が捉える「茶道に内在する美意識」
茶道、・・・この道は、単に”表面的な作法”を学ぶ道ではなく、そこには日本文化の精神基盤を構成する「極めて繊細な『美』(beauty)の世界」が内在しています。
一般に、茶道とは、茶室での茶の入れ方・飲み方における伝統的な作法を指し、しばしば、茶の湯とも呼ばれています。茶道は、古くは、室町時代において村田珠光(1423-1502)を祖として始まり、安土桃山時代において、幼少時代から茶の湯の名人・竹野紹鴎(1502-1555)の下で侘茶を学んだ豪商・千利休(1522-1591)が完成させた作法です。千利休は、茶道の心得(精神基盤)として「仏教の『禅の精神』」を重んじました。
千利休は、茶道を「侘」(subtle taste)と「寂」(elegant simplicity)の二つの概念、そして、「一期一会」の心得を基盤として完成させるに至り、時の権力者である織田信長や豊臣秀吉の茶頭を務め、日本の精神文化に多大な影響を与えました。
「一期一会」は、「一生にたった一度の出会い」という意味。この心得は、亭主が茶室で客を迎えるときには、その一時を「『人生最高の一時』(the utmost moment in life)として、心を込めて丁寧に客をもてなす」という精神がそこにあります。この「一期一会」は、千利休の高弟である山上宗二(1544-1590)が著した『山上宗二記』に記されている千利休の言葉、所謂「一期に一度」に由来する言葉として知られているものです。「一期」は「一生」の意味であり、「茶会は、後に再び、同じような時間的空間を経験することのできない”一生に一度の出会いである”」という、亭主と客における心の持ち方について述べています。現在の一期一会という言葉は、江戸時代後期において、井伊直弼が 『茶湯一会集』において「一期一会」と表現したことに由来しています。
さて、茶人が茶会を開くとき、客を迎える主人は、床の間の掛け軸、花、茶碗など、客人をもてなすための道具をたっぷりと時間をかけて丁寧に準備します。通常、茶器の扱い方については、言うまでもなく、一事が万時において、厳格な精神・心構えを基盤として扱うことが求められます。
個々の茶会においては、亭主も客も、茶器や作法ばかりにとらわれるだけでなく、迎える一瞬一瞬において、「気高い心」、そして、「優雅な心」を堅持・維持することが重要となります。かつての千利休が生きた時代、即ち、安土桃山時代においては、どんなに高位の武士であっても、茶室に入るときには、外に刀と身分を置き、厳粛、且つ、平穏な心持の下、質素の限りを尽くした茶室に入ることが重んじられたのです。
茶の湯の精神においては、茶室にて茶を嗜む人物が社会的にどのような身分なのかということは問いません。茶室は、質素極まりない優雅な静寂の空間であり、場を共有する者同士が、お互いの心と心で対話する空間です。千利休は、この静寂の空間で満喫する心と心の交わりの中に、「心の気高さ」の重要性、そして、「心の贅沢」の重要性を見い出し、茶室の中で、実際の価値観・美意識として”具現”することに努めたのです(思うに、2013年の「心不在」の日本の現代社会において、人々が茶道から学ぶべきことは実にたくさんあるでしょう)。
英語音声講義
英語で、上記・記述内容に関する講義を受講することができます。
Wine gives you vigor to go on.・・・「美学」(aesthetics)として捉える酒の醍醐味
英語音声講義
⇒ Wine gives you vigor to go on.(英語音声講義)
<思索のヒント>
本英語音声講義のテーマは、「美学」(aesthetics)として捉える酒。本英語音声講義は、英語で講義が行われていますが、講義で用いる語、展開される奇抜なストーリー、間の概念、及び、抑揚・スピードの調整・微調整等は、すべて「生井利幸の美意識」としてコントロールしています。講義が展開するほんの僅かな時間的空間の中で、是非、「酒の美意識の醍醐味」を感じ取ってください。
酒の飲み方で人生が変わる
生井利幸著 はまの出版 1、300円(税別)
[目次]
第1章 酒と仕事・酒と人生
第2章 酒を愛する哲学
第3章 酒と仕事づきあいの心理学
第4章 酒と友情
第5章 酒と男と女
第6章 映画の中の酒と名優たち
第7章 酒と健康・心のケア
The organization of aesthetic sphere in order to subtilize a sense of beauty.
It is not only crucial but also critical to delicately organize what is called “aesthetic sphere” in your sensibility. It shall be the very foundation to the foundation in order to subtilize a sense of beauty by inches.
There is no shortcut to realize the ultimate state of a sense of beauty itself. It is absolutely necessary to continue sharpening a sense of beauty day after day. An easy way to do it negatively dulls all of components concerning a sense of beauty.
英語音声講義
⇒ The organization of aesthetic sphere in order to subtilize a sense of beauty(英語音声講義)
豆腐を介して、「美意識」(sense of beauty)を洗練させる
「豆腐」(bean curd)は、言うまでもなく、日本の代表的食文化の一つです。本稿では、「豆腐を介して磨き抜く『美意識』(a sense of beauty)」について講じます。
読者の皆さん、英語音声講義を受講する前に、必ず「心の浄化」(spiritual purification)を図ってください。<インターネットの便利さ>に振り回され、「心の浄化」を図ることなく英語音声講義のみを受講しても、「生井利幸が伝えたい『本質』(the essence)」を感じることはありません。
まず第一に、静寂の中で心を静め、自分なりの方法で心の中に蔓延る邪念・雑念を取り払ってください。心の中に存する邪念・雑念を一掃して初めて、以下の2つの英語音声講義を介して、「優雅な心の旅」を楽しむことができます。
英語音声講義
⇒ subtilization of a sense of beauty through tasting a piece of bean curd Ⅰ(英語音声講義)
⇒ subtilization of a sense of beauty through tasting a piece of bean curd Ⅱ(英語音声講義)
上の写真は、生井利幸の指導の下で味わう一丁の豆腐。使用している蝋燭、及び、蝋燭立ては、「究極的美意識」(the ultimate in a sense of beauty)を稽古する英語道弟子課程で学ぶ愛弟子、T.A.さんからいただいたものです。
ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67の音楽哲学・・・愛弟子・K.H.さんが執筆・提出した「特別稽古リポート」
2018年3月3日(土)、英語道弟子課程弟子・K.H.さんが、英語道弟子課程・第一稽古場(銀座書斎・「奥の聖域」)にて、「特別稽古」を受講しました。このたびの特別稽古の主題は、「ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67の音楽哲学」。特別稽古に於ける特殊講義は、三部構成で行いました。
K.H.さんは、わたくし生井利幸が講じた三部構成の特殊講義、そして、音楽鑑賞を含めたすべての学習経験について、実に繊細・詳細にリポートとして整理し、講師に提出しました。
◆英語道弟子課程弟子・K.H.さん作成・特別稽古リポート
⇒ ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67の音楽哲学
(PDF、計36ページ)
日本の精神文化における美意識、「幽玄の境地」
本日は、日本における精神文化の一つ、「『幽玄』(the subtle and profound)における美意識」について講じます。「繊細」(delicacy)の究極的境地の一つでもある「幽玄の美意識」を満喫するには、まず第一に、「心の豊かさ」を構築する必要があります。
英語音声講義を聴く際には、まずはじめに、心の中に潜んでいる雑念・邪念を取り払い、「清らかな心」を基盤として講義を聴いてください。静寂の雰囲気の中で「清らかな心」を介して講義を聴くことにより、「(人の心を惑わす)雑音」に溢れた日常生活においては経験することのできない「幽玄の美意識」(a sense of beauty in the subtle and profound)に触れることができます。
「日本文化に生きる日本人は一体どのようにして『心の贅沢』を味わうことができるか」、このたびは、このような問題意識の下で英語音声講義を受講してください。
英語音声講義
⇒ the subtle and profound(英語音声講義)
19世紀フランスのバルビゾン派画家、ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)の美意識
生井利幸事務所・銀座書斎では、2017年の夏は、19世紀・フランスのバルビゾン派画家、ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)をテーマとして啓蒙活動を行っています。
2017年8月29日(火)現在、銀座書斎の中央スペースに、「馬鈴薯植え」(写真・上の右)、「晩鐘」(写真・上の左)、「羊飼いの少女」(写真・下の右)、「種まく人」(写真・下の左)を設置しています。
このたび、わたくし生井利幸は、ミレーの絵画の精神を表現する目的で、農作業のための道具・「万能」(まんのう)も用意し、ミレーのスペースに設置しました。わたくし自身、銀座書斎に設置する万能を準備するために相当なる手間暇をかけましたが、ミレーの絵画の面前に万能を置くことによって、「一生懸命に働くことの尊さ・美しさ」をさらに鮮明に表現することができました。
万能は、白いクロスの上に置いていますが、この白いクロスは、「労働の尊厳」(dignity of toil)だけでなく、「労働の神聖性」(sanctity of toil)を意味しています。わたくは、汗を流して一生懸命に働くことは、尊いだけでなく、神聖なことであると捉えています。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン: 交響曲第5番ハ短調作品67の鑑賞体験リポート・・・英会話道場イングリッシュヒルズ、英語道弟子課程弟子・M.U.さん執筆
先日、生井利幸事務所は、事務所の社会貢献事業として、銀座書斎・「奥の聖域」にて、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)作曲、交響曲第5番ハ短調作品67の鑑賞会を企画しました。
鑑賞会を開催後、鑑賞会に参加したわたくしの弟子から詳しい体験リポートが提出されましたので、ここでご紹介したいと思います。
⇒ 鑑賞会での体験リポート(PDF)
(英会話道場イングリッシュヒルズ、英語道弟子課程弟子・M.U.さん執筆)
The tranquility you love graces the elegancy of a sense of beauty.
The voice lecture shall be provided regarding the one titled “the tranquility you love graces the elegancy of a sense of beauty.”
For you to dramatically upgrade your spiritual state, I’d like you to deeply listen to something essential in a mood of silence. You would be surely guided what you really need to do for the sake of realizing the very subtilization of the subtilization of a sense of beauty through appreciating the elegancy of tranquility. You are fundamentally required to be rich enough in your spirituality to do so yourself.
⇒ The tranquility you love graces the elegancy of a sense of beauty.(英語音声講義)
芸術作品が表現する善(good)と悪(evil)、美徳(virtue)と悪徳(vice)
芸術作品における事物の概念・定義・価値基準・解釈等に関する個々の見方・感じ方・考え方・捉え方における諸々の様相は、世界に存するそれぞれの文明・文化・言語・国(地域)における常識、個人における常識、国(地域)が備える帰納法的経験則、個人が備える帰納法的経験則に応じて「異なるレヴェルの相違」が生じる。
「個人」(individual)は、それぞれ異なる帰納法的経験則を持っているため、必然的に以下の如き「3つの異なるレヴェルの相違」を生み出す。
■3つの異なるレヴェルの相違
1)「普通の人間にも認識できる、かなり大きな相違」
2)「少々の相違」
3)「普通の人間には認識できないほどの、極めて“微妙”(subtle)、且つ、極めて“繊細”(delicate)な相違」
芸術作品に内在する本質(the quintessence of arts)を探究するそのプロセスにおいて重要となる点は、「そうした諸々の相違について、個々人がしっかりと認識することができるかどうか」という問題である。
例えば、何らかの具体的な芸術作品と向き合うとき、「当該芸術家が表現する4つの概念、即ち、善(good)、悪(evil)、美徳(virtue)、悪徳(vice)について、それらについてどのように感性的に感じ、理性的に考えるか」という超・経験(transcendental experience)を体験しているかどうかという問題は、個人における「美意識」(sense of beauty)の方向性を大きく変えるものだ。
芸術鑑賞における超・経験は、鑑賞者における(賦与された)感性・理性を磨き抜く役割を果たし、鑑賞者自身を「芸術作品が表現する真髄」(the quintessence of arts the artists profoundly express in terms of risking their one and only life)へと導くものと私は解する。
英語音声講義
⇒ 芸術作品が表現する善(good)と悪(evil)、美徳(virtue)と悪徳(vice)(英語音声講義)