読み物カテゴリ: ‘銀座書斎エッセー’
思索を源泉とする書道・・・英会話道場イングリッシュヒルズ・受講生・S.M.さんの体験
2018年9月18日(火)、英会話道場イングリッシュヒルズ・受講生・S.M.さんが、銀座書斎にて、特別追加レッスンとして、「思索を源泉とする書道」を受講しました。このたびの「特別追加レッスン」の詳細は、以下の通りです。
◆「特別追加レッスン」
1 主題
「思索を源泉とする書道」
2 プログラム
1)特殊講義(英語)
2)思索、及び、書に向けた準備
3)書の時間
<1> 静寂の中で、S.M.さんが思索し、表現した「書」
<2> 「特別追加レッスン」当日、S.M.さんから、彩鮮やかなお花をいただきました。
「一秒」とは何か。
「私には時間がない」、・・・読者の皆さんは、この言葉を読んで、どのようなことを連想するでしょうか。
「時間がない」とは、言うなれば、「自分に与えられた時間、自分が使える時間は、極めて限られた時間である」という意味でもあります。
人間は、誰にとっても、自らの人生の終焉を迎えるその日が、いつ、どのように到来するわかりません。健康であると忘れがちになりますが、実際、今、生きているこの事実そのものが「奇跡」です。
今現在、生きているこの瞬間そのものが「奇跡」である、・・・人間は、このことを自分の命で捉えられるようになったとき初めて、今刻む「一秒の意味・価値」がわかってきます。
「人間が捉える『一秒』」とは何か。それは、間違いなく、「今この瞬間、自分は生きている」という確かな証です。
太陽は、水素の核融合によって煌々と輝いています。太陽の大きさは地球の100倍であり、質量は30万倍。今から50億年で燃え尽きます。
太陽の存在があって初めて成り立つ「地球の自然環境と人間存在」。1人の人間が経験する80年、90年という時間的空間は、ほんの一瞬の出来事であり、まさに、埃(ほこり)のような微小なる存在。
「太陽でさえ永遠不変ではない」、・・・読者の皆さんは、この有様から、自分自身の一生をどのように捉えるでしょうか。
英会話道場イングリッシュヒルズ新受講生・T.H.さんから感じる「心の中のエレガンス・美意識」
先日、英会話道場イングリッシュヒルズの新受講生、T.H.さんから、以下のような素敵な真心をいただきました。
英会話道場イングリッシュヒルズでは、エレガント英語を学習・習得することを目指して、熱心な紳士・淑女の皆さんが一生懸命に勉強しています。
T.H.さんの心とわたくしの心の交流には、「目には見えないエレガンスの一形態」が存在しています。エレガント英語の学習・習得の道は、「知識欲から、難しい英語表現を暗記する」という学習経験に存するものではありません。エレガント英語を習得するには、まず、「学習者の心の中に、エレガンスの一形態が存在している」ということが大前提となります。
わたくしは、T.H.さんを正しい方向性に導く指導者として、T.H.さんの心の中に、はっきりと「エレガンスの一形態」を見ています。
T.H.さんは、わたくしの指導の下、エレガント英語の学習に加え、わたくしが著した哲学書・「人生に哲学をひとつまみ」のノート作成、そして、”Introduction to the Bible”(聖書入門)の受講もスタートしています。
使う文章、捨てる文章
わたくし生井利幸は、現在54歳。20年前は、言うまでもなく、34歳でした。
20年前は、米ペンシルベニア州ラフィエット大学で教鞭を執っていた頃です。当時は34歳。わたくしは、大学で教える傍ら、精力的に様々な活動をしていました。
20年前、わたくしは、学術研究に加え、創作活動にも携わり、寝る時間を削って執筆活動をしていました。当時のわたくしは、書いた文章は、そのほとんどを新作の単行本、マスメディア掲載用コラム、あるいは、大学の講義用教材として使っていました。
一方、20年後の現在はどうでしょうか。現在も、同じように相当量の文章を毎日書いていますが、書いた文章のほとんどを捨てています。書いた文章を捨てるとは、「書いた文章を破棄・放棄する」ということです。
世の中の常識として考えれば、20年前、即ち、1998年当時と2018年現在を比べれば、わたくし自身の人生の中に「20年分の人生経験」が増えています。20年前の自分と比べて、現在の自分のほうが「雲泥の差」と言えるほどの人生経験の積み重ねがあるのに、現在は、一体どうして書いた原稿のほとんどを捨てているのでしょうか。
今、わたくし自身、”腹”で哲学することは、「人生経験を積んだからこそ、今、書いた文章を捨てられるようになったのだ」ということです。表現を換えれば、20年という歳月をかけて、今、やっと、「一人の人間として正しく生きる」ということが、”ほんの少し”わかりかけてきたということなのでしょう。
平成30年北海道胆振東部地震で被害を受けました多くの方々に対しまして、心からのお見舞いを申し上げます。
このたび発生しました平成30年北海道胆振東部地震で被害を受けました多くの方々に対しまして、心からのお見舞いを申し上げます。
復旧作業が進み、一日も早く皆様方が不便のない元の生活に戻ることができますよう、心からお祈り申し上げます。
生井利幸事務所代表
生井利幸
2018年9月7日
アリストテレスの「配分的正義」を源泉とする、生井利幸の啓蒙活動の精神
「物事を理解するには、通るべきところを通る必要がある」、・・・この「通るべきところ」の存在は、その必要性がそこにあるからこそ、その存在の意味があるわけです。
「人間は、永遠に生きられるわけではない」、・・・このことは、当たり前と言えば当たり前の真実ですが、時として、人間は、「永遠ではない、限りのある生」の”神聖性”について無頓着になることがあります。
そもそも、「1年」という時間的空間は、頗る短い時間的空間です。例えば、毎年、年末のクリスマス・シーズンにケーキを食べる習慣がある人の場合、1年に1回食べるクリスマスケーキを10回食べれば、「10年」という歳月が過ぎ去ったことになります。人生80年と捉えた場合、その10年を8回過ごせば、「80年」の人生の終焉を迎えます。
銀座書斎では、わたくし生井利幸の下で勉強に励む「努力家の大人の紳士・淑女」がたくさんいます。その紳士・淑女は、銀座書斎ではわたくしが指導する学習者ですが、職場では立派な職業人として働いています。
話が変わりますが、わたくしが定義する「正義」(justice)とは、人類の英知の基礎を構築した人物の一人、即ち、古代ギリシアの哲学者・アリストテレスが唱えた「配分的正義」を源泉としています。わたくしは、真の正義とは、「どのような人間に対しても、無条件で、すべて平等に分け与えることではなく、”個々の人間の努力に応じたもの”を与える」という如き定義づけをしています。わたくしは、日々の活動において、アリストテレス理論「配分的正義」を源泉とする「生井利幸独自の定義・判断基準」を構築・堅持し、それを”実際に”、すべての活動において実行しています。
このような理由から、わたくしは、銀座書斎にて、一生懸命に勉強する学習者に対しては、常に、その勉強の量・質に応じた(見合った)指導・助言を与えています。これをわかりやすく述べると、銀座書斎では、学習者は、「勉強を真剣にやればやるほど、さらに、多くの勉強の機会と出会うことができる(講師から、さらにたくさんのこと・より崇高なことを教えてもらえる)」という恵まれた学習環境にあるということです。このことは、例えば、生井利幸が一人ひとり完全個人指導として直接指導している学校、英会話道場イングリッシュヒルズのウェブサイトに掲載されている重要教材・「レッスン日記」について、それをゆっくりと時間をかけて閲覧すると、必要十分に認識・理解することができるでしょう。
ここで、冒頭の問題に戻ります。「物事を理解するには、通るべきところを通る必要がある」、・・・生井利幸は、時として、特定の学習者に対して、その「通るべきところ」について、通常の常識を超えて、1)「スピードを上げて通らせる」、2)「さらに内容を濃くして学習させる」という教授法を実行することがあります。
通常は、「通るべきところ」は、決して急ぐことなく、ゆっくりと確実に通ったほうがよいでしょう。しかし、1)「スピードを上げても大丈夫な学習者」、「さらに内容を濃くしてもしっかりと学習できる学習者」に対しては、わたくし生井利幸は、”地球規模の愛情”として、勉強内容を「本質・真理の探究の方向性」に向け(絞り)、もっと迅速に、もっと濃厚に教授するようにしています。
銀座書斎で学ぶ学習者の中で、本稿を読み、「この記述は、自分に該当することだ!」と感じた人は、是非、迷うことなく、わたくしの指導・助言通りに勉強をしていくとよいでしょう。わたくし自身、長年、アメリカ・ヨーロッパを拠点として、世界中の大学、及び、研究機関において研究・教育に取り組んできた経験から断言できることは、銀座書斎における学びの道においては、「”短い人生において行う勉強”を、しっかりと確実に成就させる秘訣は、一にも二にも、講師である生井利幸の指導・助言通りに勉強していく」ということに尽きます。
再度、述べます。人生は短いです。クリスマスケーキを10回食べれば10年。その10年を8回経験すれば、あっという間に80年が過ぎ去ります。家族や親戚に、おじいちゃん、おばあちゃんがいたら、是非、聞いてみてください。「おじいちゃん、30歳の頃のこと、どれぐらい覚えてるか教えて?」と。あなたがこのように尋ねたら、きっと「30歳の頃? もう50年前のことだけど、今振り返ると、まるで昨日のことのようだね!」という返事が返ってくるでしょう。
人間は、あっという間に歳を重ねます。通常、人間は、ある程度歳をとった後に、「あの時、もう少し勉強しておけばよかったのに」、「30代の頃、自分の幸福ために、熱心に助言してくれた人がいた。今、当時を振り返ってみると、その人の助言を良く聞き、助言通りにしておけばよかった!」などと、過去を振り返るものです。
上記のことから学べることは、「自分の発展・幸福」のために確かな助言を与えてくれる本物の指導者が身近にいたら、「その助言の意味・価値」を自分なりに考えてみるということでしょう。本物の指導者は、常に、「指導している学習者における『最大の幸福』の実現」に的を絞り、全力で、それを実現することばかりを考えています(補足: 老婆心で述べると、たとえ学習者が全力で勉強する日々を送っていても、その一方で、学習者本人が、全力で(命をはって)教授してくれている指導者の気持ち・心の中を理解しているわけではないでしょう)。
わたくしの好きな言葉・・・「一生懸命」
作家として、繊細・詳細に言葉を扱う仕事をしているわたくしには、好きな言葉がいくつかあります。その一つは、「一生懸命」という言葉です。
「一生懸命に勉強する」「一生懸命に仕事をする」、・・・世の中には、取り組んでいる何らかの活動について、人が見ていないところで上手に手を抜く人はどこにでもいます。そうした中、他人が自分を見ている・見ていないに関係なく、毎日、「一生懸命に生きる」を実践している人は、実に、「美しい存在者」であると明言できます。
わたくしがレッスンを行っている受講生の1人であるY.I.さんは、現在、朝の3:30に起床し、早朝から体のリズムを整え、毎日、一生懸命に勉強しています。
Y.I.さんは、何事にも一生懸命に取り組む人です。「毎日、一生懸命に生きる」、・・・美しい生き方の源泉となる生き方は、間違いなく、「この生き方を実践する生き方」でしょう。
以下、2018年7月に、Y.I.さんからいただいたメッセージカードをご紹介します。
「崇高なる精神ステージ」を樹立すると、本質・真理への道筋が見えてくる(一部修正)
わたくしは、自己の生における「極めて限定された時間の大部分」を使って、「ものを書く」という行為を行っています。「ものを書く」、・・・わたくしの場合、その、「もの」とは、「本質」であり、「真理への導き」のための道筋を対象としています。
わたくしは、迎える一日一日において、普遍的立ち位置から「書く」という行為と同時進行で、それを実際に具現化するために、「教育」「啓蒙」に取り組んでいます。
「教育」、・・・大別すると、そこには、二つの様相が存在しています。一つは、「学習者に対して知識を与える」ということです。そして、もう一つは、「知識を与えることに加え、学習者を、一人の人間として改善・向上・発展させる」ということです。わたくしは、日々、迎える一秒一秒において、後者を実行する日々を過ごしています。
「知識の伝授だけでなく、学習者を一人の人間として成長させ、仕上げていく」、・・・このような教育活動・啓蒙活動は、言葉として口で言うほどに、決して簡単ではありません。
執筆するという行為は、時間・エネルギーを投入して執筆した分、その仕事量が目に見える形で残ります。その反面、「人を教える」という行為においては、どのように膨大なる時間・エネルギーを注いでも、注いだ時間・エネルギーに比例して、教授者の計画・期待通りに、学習者が成長するとは限りません。
経験的法則から言えることは、成人に対する教育においては、「学習者において、『崇高なる精神ステージ』を基盤とした前向きな学習意欲の存在」が必須であるということです。
「崇高なる精神ステージ」、・・・これをわかりやすく述べると、「清らかな学びの精神」です。
清らかな存在者になるには、まず第一に、学習者が物質至上主義社会に生きることによって、無意識のうちに「自分の中に侵入してしまっているたくさんの固定観念」の存在を知ることが必要です。固定観念の存在を知ったら、その後、自分を浄化し、「それらの固定観念を一掃すること」が必要不可欠となります。
わたくしの下で学んでいる学習者の中で、「自分に内在する固定観念の一掃の方法(取り払う方法)について知りたい人は、躊躇することなく、わたくしに相談してください(躊躇することは、直接、「人生における限られた時間」を無駄にします)。
銀座書斎が提供する「かき氷」
本日は2018年7月20日(金)、東京は、既に真夏の猛暑を迎えています。2018年の銀座書斎は、本年も、読者の皆様、及び、銀座エアリアの皆様に対して、「銀座書斎にて、かき氷を食べる機会」をご提供しています。
銀座書斎でかき氷を食べる経験を通して、自己を固定観念から解放し、豊かな心を構築したい方々は、是非、「茶話会」にご参加ください。
⇒ Spirit dramatically stimulated and upgraded (applicable in summer) Ⅰ(英語音声講義)
⇒ Spirit dramatically stimulated and upgraded (applicable in summer) Ⅱ(英語音声講義)
⇒ Spirit dramatically stimulated and upgraded (applicable in summer) Ⅲ(英語音声講義)
茶話会・詳細ページ
人間の生における「最大の奇跡」
「人を導く」ということ、それは、かなり骨の折れる啓蒙活動であると言えるでしょう。
わたくし自身、「ものを書く」という行為を、自分の人生の大黒柱としています。また、「書く」という行為と同時進行で、教育にも携わっています。
「教育」、・・・大別すると、そこには、二つの様相があります。一つは、(1)「学習者に対して知識を与えること」。そして、もう一つは、(2)「知識を与えることに加え、学習者本人を一人の人間として改善・向上・発展させること」。わたくしは、毎日、後者を実行する日々を過ごしています。
「知識の伝授だけでなく、学習者を一個の人間として成長させ、仕上げていく」、・・・このような教育活動・啓蒙活動は、言葉として口で言うほどに簡単なことではありません。
わたくし生井利幸は、迎える一日一日において、「この地球に存するすべての人間は、自己に与えられた『生の時間』をどのように使うべきか」という問題について哲学しています。このような問題意識の下、わたくし自身、「自己の限られた生の時間」を毎日失っているわけですから、自らの教育活動において、「その限られた生の時間」の価値がわかる学習者を最優先して導かざるを得ません。大人に対する教育においては、そうすることが真の平等と言えるでしょう。
「死」は、決して他人事ではなく、今日の今現在、自分に訪れても何の不思議もありません。そもそも、生きているという事実そのものが、「人間の生における『最大の奇跡』」なのです。