読み物カテゴリ: ‘銀座書斎エッセー’
“Stop stopping!”が教えてくれる「行動の重要性」
プラグマティズム(実利主義)が台頭するアメリカ合衆国においては、一事が万事において、「行動」がものを言います。例えば、アメリカでは、毎日、「行動がものを言う」というポリシーで生きている人は、「すぐにでも行動する必要性」があるのに、いつまでたっても動こうとしない人を見ると、Stop stopping!という言葉を投げ掛けることがあります。
短い英語表現の中に、Stopが2回も続くこの表現、・・・日本語に訳しにくい表現ですが、これは、言うなれば、「何もしないことを止めなさい!」という意味となります。
日本でも、他人から「何もしないことを止めなさい!」と言われると、普通の人であれば、はっとするでしょう。それはまるで、長い睡眠状態から「目を覚ましなさい!」「とにかく動きなさい!」と活を入れられたような気持ちになるでしょう。
本稿では、是非、英語で「たった一度しかない人生を楽しむためのヒント」について受講し、自分なりに「生きる」について深い思索を試みてください。
英語音声講義
⇒ No scenario is written in human life beforehand.(英語音声講義)
人類史という大枠から経験する「鎌倉・建長寺の空気感」
先日、神奈川県鎌倉市まで足を運び、建長寺に長い時間にわたって滞在しました。建長寺は、建長5年(1253年)に建立。臨済宗建長寺派の大本山であり、実に広大な面積を誇る禅寺です。鎌倉幕府第5代執権、北条時頼が創立、本尊は地蔵菩薩です。
建長寺に滞在した後は、寺から入れる山道を歩き、地球における人類誕生から現代までを哲学しながら、山道を歩きました。山道は、長い時間にわたって建長寺の空気感を満喫した後に入りました。そうした経緯もあり、山道では、「人類に賦与された時間の神聖性」をわたくしの理性性の中で再構築しながら、たっぷりと汗を流しながら歩くことができました。
今ある「時間」(time)は、神聖なるものです。決して、当たり前にあるものではありません。読者の皆さん、本稿では、是非、宇宙空間の存在性の中に「自分の存在」をしっかりと置き、以下の英語音声講義を受講してください。
⇒ Time is sacred to you as a gift given by the Most High.(英語音声講義)
生井利幸とガウタマ・シッダーサ
わたくしは、寺を訪れると、自己の精神性の中で、ガウタマ・シッダーサと対話をします。ガウタマ・シッダーサは、仏教の創始者です。わたくしは、特に、ガウタマ・シッダーサが長い修行を経て後に「悟り」を開いた当時のことを、「自己の命」で捉えながら対話をしています。
◆仏教の創始者、ガウタマ・シッダーサ(生井利幸による仏教講義(英語))
⇒ The enlightenment experienced by Gautama Siddhārtha(仏教講義(英語))
「労働の質」・・・100円の水を売る人の「笑顔と雑談の価値」
私は、銀座書斎で仕事をしている間、時間があるときに周辺を散歩する習慣があります。毎日、一定の距離を歩けば、足腰を鍛えることができ、健康にも良いです。
私にとっての散歩は、実は、単なる散歩ではありません。「ものを書く」という行為を仕事とする私にとって、散歩は、言うなれば、地域社会の様相を見たり、あるいは、人間観察としての役割も果たしてくれます。日々の散歩で、大きな気づきに出会ったり、美しいひと時を過ごすこともあります。その一つは、散歩の途中、時々立ち寄るコンビニエンス・ストアーでの経験です。
私が立ち寄るコンビニエンス・ストアーには、65歳前後とみられる男性の店員が働いています。私は、通常、散歩の帰り道に、その店に立ち寄って100円のペットボトルの水を買う習慣があります。水を手に取り、それをレジに持っていくと、その店員は、毎回、素晴らしい笑顔で対応してくれ、健康的な雰囲気で少々の雑談もしてくれます。
100円の商品を買う客に対して、「笑顔で、心温まるコミュニケーションを図るその店員の『労働の価値』」、・・・人生経験が豊富な読者の皆さんであれば、その価値について、すぐにわかるに違いないと想像します。
私自身、その店員が、私に対して、素晴らしい笑顔で対応してくれるとき、「心の中は、完全に、この人のほうが高貴である・健全である」と感じます。本来、コミュニケーションに勝ち負けはありませんが、この店員に会うとき、私自身、常に「自分の至らなさ」を感じます。
収斂(astringency)を介して導き出される「超越的英知」(transcendental wisdom)
「収斂」(astringency)とは、様々な学問分野で使われる概念ですが、通常、「多くのものが、一つにまとまる」という意味で使われる概念です。経験に乏しい世代においては、人は、一度に、あるいは、同時期に、たくさんのことに手を出します。無論、経験は大切ですが、「欲」(greed)を出してたくさんのことに手を出すと、結局、すべてが中途半端となり、何ら、自分のものになることはありません。
勉強で言えば、知識を身に付けようと、あれもこれもと手を出す人は、結局、すべてが薄っぺらい知識の断片となり、何ら、習得することはできない、という皮肉な結果を招きます。
人生で言えば、通常人が備える能力ではなく、通常人にはない「特別な(特殊な)能力」を身に付けるには、普通の人々と同じような方法(典型)で勉強するだけでは、自分が望むような「特別な能力」が身に付くことはないでしょう。
この世の中に、”タダ”で手に入るものはありません。何かを身に付けるのは、必ず、代償(price)が必要となります。英語では、Nothing is free in this human society. If you wish to get something important, you’ve got to pay the price for it.・・・これは即ち、「人間社会においてタダというものはない。もし、あなたが、あなたにとって何らかの重要なものを手に入れたいならば、それ相当の対価(代償)を払わなければならない」という意味を成します。
対価(代償)の意味は、固定観念の中に生きている人には、それを理解することは難しいでしょう。例えば、「特別な能力を養いたい。でも、普通の人が持っている普通の幸せも欲しい」という願望は、一般社会では、良く耳にする願望です。しかし、この願望は、通常は、叶わない願望です。特別な能力を養いたいにもかかわらず、普通の人々と同じような着想・発想の下で勉強しているのでは、残念ですが、いつまでたっても「普通」の枠組みから出ることはできません。
「特別な能力」を養いたいならば、”極めて特別な方法”で、「限界の限界」まで自分を追い込んで勉強しないと、自分が望むような「特別な能力」を養うことは不可能です。海外でも日本でも、自己実現ができる人の共通点は、「事物における対価・代償の意味」について達観している人です。これをわかりやすく述べると、対価とは、自分にとって本当に必要なことを行うために、「不必要と思われる雑多なことに手を出さない」ということです。
表現を換えると、賢者は、「一つに絞る」重要性を達観しているということです。勇気を持って一つに絞ると、実は、やがて、一つだけでなく、たくさんのものが手に入ります。収斂の概念に潜んでいる英知は、「的を一つに絞ると、やがて、多くを得る」という、特定の文明・文化を超越した英知であると言えるでしょう。
「特定の文明・文化を超越した英知」、・・・わたくし生井利幸は、自らの啓蒙活動、及び、教育活動において、この概念を、”抽象的概念として”、「超越的英知」(transcendental wisdom)と定義しています(具体的概念としての「超越的英知」については、他の妥当な機会において関係記述を掲載する予定です)。
農作業の道具・『万能』(まんのう)が教えてくれる「汗の価値と意味」
本稿では、まず第一に、下の写真に写っている農作業の道具・「万能」(まんのう)を見てください。農業従事者が畑で万能を使って仕事をするとき、一体どれだけの「大量の汗」を流すのか想像できますか。
マンション住まいの人であれば、バルコニーに出て、掃き掃除をしたときに出る汗の量を思い出せばわかることでしょう。言うまでもありませんが、農業従事者は、マンションに住んでいる人が流すその汗の量とは比較できないほどの「大量の汗」を日常的に流しています。
読者の皆さん、「働く」という行為は、一体どのような行為を指すのでしょうか。また、「汗を流す」という様相には、どのような本質が内在しているのでしょうか。皆さん、この機会に、今再び、「『汗一滴』に内在する価値と意味」についてわたくしと考えてみましょう。
◆英語音声講義
⇒ Taking action is absolutely sacred to you now and in the future.(英語音声講義)
◆参考記述
⇒ 19世紀フランスのバルビゾン派画家、ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)の美意識
最も恐怖を感じるとき
私にとって、最も恐怖を感じるときは、「1分」以上、何もしていないときです。
読者の皆さんにとって、「1分」は、短い時間ですか。それとも、長い時間ですか。私にとっての1分は、「その中に1秒が60回分もある、長い時間的空間」です。
毎日、1秒1秒に「命」(life)を投入し続けながら生きている私にとって、「1秒が60回分もある1分」という時間的空間は、実に、相当なる長い時間的空間です。私にとって、「1分もの間、何もしない。何らの前向きな活動、建設的な活動をしない」という経験は、実に「恐怖の経験」です。
すべての人間にとっての「今現在の生」は、決して「当たり前の生」ではありません。私たち人間は、明日、否、”1分後”において、「迎える1秒を生きる」についての保証があるわけではありません。
世界中におけるすべての人間にとって、「今、生きている」という事実そのものが、まさに「奇跡」(miracle)であるわけです。
⇒ 55秒で体験具現できる「1秒1秒の奇跡」(英語音声講義)
仏教学者・鈴木大拙先生(1870-1966)の声
先日、幼少期から尊敬している学者(仏教学者・思想家)、鈴木大拙先生(1870-1966)の声を初めて聴きました。
鈴木先生の声は、銀座書斎にて、わたくし生井利幸の下で学ぶ受講生・N.S.さん(英会話道場イングリッシュヒルズ受講生)からの厚意でCDで聴くことができました。
今回、鈴木先生の声を聴いたのは、実に初めての経験でした。率直に述べるならば、鈴木先生の声は、長年、想像していた声と同じ声でありました。この経験は、実に不思議な経験であると言えるでしょう。
N.S.さんからCDを送っていただいた際、以下のような素敵なお手紙を頂戴しました。
英語音声講義
◆生井利幸が英語で講じる「仏教の創始者、ガウタマ・シッダーサ」
⇒ The extraordinary process to radiantly reach the enlightenment experienced by Gautama Siddhārtha(英語音声講義)
早朝7:00から銀座書斎で経験した「美しい一時間」
生井利幸事務所・銀座書斎では、一般の社会人を対象として、様々な教育活動、及び、啓蒙活動を行っています。生井利幸事務所は、教育活動の一部門として、英会話道場イングリッシュヒルズを創立し、完全個人指導として国際教育を行っています。
英会話道場イングリッシュヒルズで学ぶ受講生・Y.I.さんは、2014年7月から学び始め、2017年7月には、学び始めてから4年目に入ります。Y.I.さんは、講師であるわたくし生井利幸にしっかりと心を預け、レッスンにおいて、共に、英語で「心の旅」を楽しんでいます。
今朝、朝の7:00からY.I.さんのレッスンがありました。本日は、Y.I.さんの素敵な勉強の成果をご紹介したいと思います。
以下のノートを見ると、Y.I.さんが、わたくしと「心の旅」を楽しんでいる様子をうかがうことができるでしょう。物質文明社会に毒されることなく、「綺麗な心で、清らかに生きている人」は、「美しい勉強」を楽しむことができます。
Y.I.さんは、東京都中央区の企業において働いています。Y.I.さんは、本日、レッスン終了後、地域社会に対する貢献活動として、周辺地域を綺麗にする活動として、タバコの吸い殻拾いを行いました。以下の写真は、銀座書斎から撮影した写真ですが、写真中央に、Y.I.さんがタバコの吸い殻拾いをしている姿を見ることができます。
以下において、Y.I.さんが勉強した生井利幸作成のオリジナル教材(哲学詩、及び、英語朗読)をご紹介します。
Bitter tears in my heart
I now swallow my tears
it is really harder than renouncing myself
nobody can do anything about what I am awfully feeling inwardly
am I expecting something optimistic?
there is nothing I’m expecting inside
I’m just screaming inside
I now hear a voice coming from my soul
bitter tears in my heart give me the strength of will to live more gracefully
英語朗読
⇒ Bitter tears in my heart(英語朗読)
「一生涯をかけて弟子たちを育て、仕上げる」という、わたくしの使命
先日、英語道弟子課程弟子のK.H.さんと、英語道弟子課程・第二稽古場(森のギャラリー)にて、フルコース・ランチ会を行いました。今回のフルコース・ランチ会は、弟子のK.H.さんが主催し、K.H.さんがすべての料理を準備してくれました。
フルコース・ランチ会は、午前11時過ぎからスタート。冷たいビールでスタートし、冷たいシャンペイン、重い赤ワインを味わいながら、少しずつ料理を食べました。
メニューは、カプレーゼ(トマトとモッツァレラチーズのサラダ)、牛ももとグリル野菜のサラダ、グラタン(焼きいも、鳥肉、エビ、ソーセージ、ブロッコリー、アスパラ、人参、トウモロコシ、玉ねぎが入った具だくさんの栄養たっぷりのグラタン)、バター付きフランスパン、ひまわりの種のパン、レーズンパン、デザートはブルーベリーのパンナコッタでした。
フルコース・ランチ会では、K.H.さんと様々なお話をしました。わたくしの弟子たちは、英語で「世界レヴェルの英知・美意識」構築具現を目指しているため、わたくし自身、世界最高峰の教授(稽古)を賦与しています。K.H.さんは、今回、食事をしながら、K.H.さん自身における勉強についてたくさんの内省、及び、思索を試みたようです。
わたくしは、K.H.さんを「世界レヴェルの教養人」として仕上げるということを、人生における使命としています。もちろん、このことは、他の弟子たちに対しても、まったく同様の使命であるということは言うまでもありません。
わたくしは、命をはって、弟子たちに対して「最高の指導」を賦与し続けています。弟子たちも、命をはって、「わたくしが賦与する指導内容」を勉強しています。
生井利幸事務所が行う啓蒙活動の意味
生井利幸公式サイトは、生井利幸事務所が行う様々な啓蒙活動を行う上での根幹的な役割を演じています。生井利幸事務所の活動は、東京・銀座3丁目の「銀座書斎」(Ginza sanctuary)を拠点とし、一般社会の皆様方に、「本質、及び、真理を探究する道筋」をご提供するべく、学術・文化・芸術等、実に幅広い分野を網羅して啓蒙活動を行っています。
わたくしは、当初、学術研究、即ち、学者としての道を歩んでおり、活動拠点をアメリカ合衆国、オランダ王国等の大学とし、学術研究、及び、教育活動に従事。全面帰国後は、祖父が愛したこの土地・銀座に「銀座書斎」を開設し、現在に至っております。
「単なる啓蒙活動ではなく、『真の意味での啓蒙活動』とはどのような行為を指すのか」、・・・わたくしは、既に長い期間にわたってこの問題と真正面から向き合ってきました。無論、向き合うだけでなく、実際に取り組まなければ意味を成しません。実際に取り組むとは、「実際に実行する」という意味。「真の意味での啓蒙活動を実際に実行する」ということは、頭の中で想像するだけでなく、実際にそれをやってみなければ、なかなか「その難しさ」を実感することはできないでしょう。
本来、「本質を教える」「真実を伝える」という行為は、簡単ではありません。基本的に、「典型・固定観念」(stereotype)の中で生きる人々は、無意識のうちに、虚像・嘘に囲まれて生活しています。資本主義経済社会、言葉を換えれば、物質至上主義(materialism)においては、右を向いても左を向いても、誇大広告・虚偽表示・倫理軽視広告などに囲まれています。この世の中は、万事、「銭金」(ぜにかね)の世の中。企業が成長・発展を遂げる上で経験する”宿命”は、基本的に「一円でも多く稼ぎ、一円でも少なく出費」という宿命。この宿命は、言うなれば、企業が企業として存続していく上での”不可避的宿命”です。
「本質」(essence)は、異なる文明・文化・国家・地域、異なる世代・時代を超越して存在するものです。社会には、「本質を知りたい」「真実と向き合いながら生きてゆきたい」という願望を持っている人々がたくさんいます。願望を持っている人々の数は多いのですが、現実問題として、そうした機会に巡り合うことが非常に少ないということが実際の有様でしょう。
生井利幸事務所は、これからも、一般の読者の皆様方に対して、「本質」「真実」「真理」を伝えていくべく、学術・文化・芸術等の分野から、様々な啓蒙活動を行っていきます。わたくし生井利幸は、1週間の7日間のうち、週末(土日)も含めた7日、毎日、啓蒙活動を続けています。また、わたくしには、ゴールデンウイーク、夏休み(お盆休み)、年末年始休み等もありません。わたくしは、毎日、休みなく、「真の意味での啓蒙活動」を継続していきます。「休みなく活動を続ける」、・・・そこに啓蒙活動を行う上での「意味」「価値」「尊厳」が生じるのです。