読み物カテゴリ: ‘銀座書斎エッセー’
Convenience dehumanizes human beings by inches.
英語音声講義
⇒ Convenience dehumanizes human beings by inches.(英語音声講義)
「人間は利便性に弱い」という様相は、毎日、目の当たりにする光景です。人間は、迎える一日一日において、「利便性に溺れると負の方向性を歩むことになる」ということを忘れずにいることが必要でしょう。
The meaning of nothing deriving from nothing
英語音声講義
⇒ The meaning of nothing deriving from nothing(英語音声講義)
No possession engenders radiance in my soul.
英語音声講義
⇒ No possession engenders radiance in my soul.(英語音声講義)
人間は、常に、ものを所有しようと欲する動物です。言うまでもなく、「ものを所有したい」という願望・欲は、「人間の本性」の一形態です。
では、「ものを所有したい」という願望・欲から自分を脱皮・解放させたら、人間は、どのような道を歩むことができるのでしょうか。このたびの英語音声講義は、「『ものを所有しない』という美学・美徳」を講じた講義です。
Graceful love
英語音声講義
弟子のM.U.さんが、新年の挨拶として銀座書斎を訪問しました。
早いもので、既に、2017年1月4日を迎えました。本日の銀座の朝は、実に爽やかな朝であり、早朝から銀座書斎に来ているわたくしは、既に、たくさんの新鮮な空気を吸収しています。
本日の朝は、英会話道場イングリッシュヒルズ・英語道弟子課程在籍の弟子・M.U.さんが、新年の挨拶に来てくれました。M.U.さんは、明日、銀座書斎で、2017年の第1回目の英語稽古がありますが、このたび、稽古がスタートする前に挨拶に来てくれました。
M.U.さんは、年末年始も、通常と同様のペースで勉強を継続。さらに、本日は、わたくしの新刊、「エレガント英語74」(とりい書房)をしっかりと勉強したいという趣旨のお話もうかがいました。
弟子・T.A.さんからの新年の真心
2017年を迎え、生井利幸事務所・銀座書斎は、既に、活動をスタートしています。活動をスタートしたのは、2017年1月1日。わたくし生井利幸は、「休むことなく、元旦から活動をスタートする」というこの精神にこそ意味があると捉えています。
本日、2017年1月3日は、わたくしの弟子であるT.A.さん(英会話道場イングリッシュヒルズ、英語道弟子課程在籍)が、新年の挨拶として権座書斎を訪問しました。
T.A.さんは、本日の午前において、清らかな心で、美味しい抹茶を点ててくれました。年間を通して、わたくし自身、弟子に対して極めて厳しい指導を行っていることもあり、弟子から新年の挨拶としてこのような真心をいただくことは、この上ない喜びです。
生井利幸の弟子(disciple)・K.H.さんが、新刊の出版のお祝いに、フルコース・ランチに招待してくれました。
このたび、わたくしが新刊「エレガント英語74」(とりい書房)を出版するにあたり、わたくしの厳しい指導の下で既に「丸7年」学び続けた、英会話道場イングリッシュヒルズ・英語道弟子課程在籍の弟子(disciple)・K.H.さんが、新刊の出版のお祝いとして、銀座内で、美味しいフルコース・ランチに招待してくれました。
「弟子の招待で食事を楽しむ」という機会は、常日頃、厳しい指導を行っている指導者にとっては、この上ない幸せな機会です。このたびは、K.H.さんの真心を感じながら、まずはじめにシャンペインで乾杯。その後、ゆっくりと赤ワインを飲みながら美味しい食事を楽しみ、最後は、コーヒーをいただきました。
K.H.さんは、今月から、わたくしの下での学びが「8年目」を迎えます。英語道弟子課程は、人類共通の言語(英語)を介して、「世界レヴェルの英知・美意識」の構築具現を目指すための学びの聖域です。K.H.さんは、「これから、さらに勉強に励みたい!」という旨を、わたくしに述べています。
ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ(1525-1594): ミサ曲「ガリラヤ人たちよ」の鑑賞会の一場面のご紹介
生井利幸事務所は、2016年社会貢献事業として、随時、一般の読者の皆様方に対してクラッシック音楽鑑賞会をご提供しています。今月は、ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ(1525-1594)が作曲したミサ曲「ガリラヤ人たちよ」の企画鑑賞会を開催しました(詳細は、当ウェブサイト・社会貢献活動ページにて掲載)。
ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナは、イタリアのルネッサンス後期の音楽家です。西洋文明社会において、パレストリーナは、「教会音楽の父」と言われている音楽家です。パレストリーナは、ローマ・カトリックの宗教音楽を数多く残しています。
先日、鑑賞会の参加者から、心温まる御礼状をいただきました。
音楽の鑑賞は、銀座書斎・「奥の聖域」で行われました。参加者は、当日の鑑賞会までにしっかりと「心の整理」「心の浄化」を図り、銀座書斎・「奥の聖域」の神聖なる空気感の中で、「清らか、且つ、美しい時間」を満喫することができます。
How you live well today changes the quality of tomorrow.
明日が必ずやってくると思って今日を生きている人の「今日の24時間の価値」は、それほど高い価値ではないでしょう。
1)「明日はない」、2)「『明日の24時間の価値』は『今日の24時間の価値』で変わる」という捉え方ができる人は、真の意味での時間の価値がわかる人です。
「毎日、永遠にたっぷりと時間がある」という認識は、実は、大きな勘違いです。凡人は、常に、「時間の価値」について無頓着・鈍感です。むろん、明日はあったほうがよいですが、「明日はない」「今日が最後の一日だ」と捉えて生きると、「今現在の行動の質」(the quality of time right now)が劇的に高まります(変わります)。
英語音声講義
⇒ How you live well today changes the quality of tomorrow.(英語音声講義)
「耳学問」とは何か。
読者の皆さん、「耳学問」という言葉を聞いたことがありますか。
通常、私たち人間が学問を学ぶ場合、大学等で講義を受講します。しかし、大教室で講義を受講しても、大勢の学生の面前で講義しているその内容は、通常は「テキスト通りの内容」です。
耳学問とは、大教室でテキスト通りの方法で学ぶ方法ではなく、学習者が直接、教授者から「難しい学問について、学習者にとって最も妥当な方法で学ぶ方法」を指します。これを教授者側から述べるならば、教授者は、学習者の能力・見識・立ち位置等を鑑み、学習者にとっても最もわかりやすい方法で、「一つひとつの理論・考え方等を紐解きながら教えていく」という教授法であるといえます。
耳学問とは、言葉を換えれば、所謂、「茶話」です。耳学問とは、つまり、「お茶を飲みながら、あるいは、食事をしながら、楽しい雰囲気で学問に触れる」という意味を成します。もし、読者の皆さんの中に、「耳学問の時間を与えてくれる教授者」がいたら、是非、そのような機会は、決して当たり前の機会ではないということを知るべきでしょう。言うまでもありませんが、耳学問の時間を作る教授者の心の中には、「学習者に対する愛情」がたくさん詰まっています。
わたくしは、大学院時代の恩師である故・松平光央先生(法学博士)から、この耳学問の重要性についてたくさんのことを学びました。わたくしは、英米法の研究室に所属していましたが、松平光央先生から、実にたくさんの貴重なご指導を受けました。
松平先生から受けたご恩は、およそ30年ほど前の経験となります。その後、わたくしは、長年、アメリカの大学等の教壇に立ち、やがて日本に帰国。わたくしは、今、恩師である松平先生からいただいたこのご恩を、わたくしが創設した英会話道場イングリッシュヒルズ、英語道弟子課程において、「わたくしの弟子たちに対する耳学問」として恩返しをしています。
「世界レヴェルの英知・美意識」構築具現の道を歩む弟子たちに対して、わたくしは、これからも、様々な方法を駆使して「最高峰の教授」を行っていきます。