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読み物カテゴリ: ‘今日の言葉’

今日の言葉(最新作)

2024-11-25

2024年11月25日(月)

癒しの境地には二つある。一つは、楽をして生きている人が、さらに楽を求めて癒されたいという境地。そして、もう一つは、毎日、自分の限界と闘っている人が、時折、ほんの少しの休憩として癒されたいという境地。前者は、堕落の一途。そして、後者は、発展の一途。

鉄の壁は、努力している人には見え、努力していない人には見えない。

この世に、鉄の壁を見ないで発展を遂げる人はいない。

賢者は、自分の人生について、自分の思い通りにならないところに生きる醍醐味を見出す。

2024年11月24日(日)

”少々足りない”と感じる程度が、ちょうどよい。

ありすぎると、感謝しなくなるのが凡人の常。

理論と理屈は紙一重。そして、理屈と屁理屈も紙一重。

2024年10月30日(火)

与える人と受ける人。与え続けている人の気持ちについて、それを受ける人が正確に理解することは難しい。

当り前は、半永久的に、それが当り前のように与えられている限り、その有り難さについてわかることはない。

当り前は、それが当り前でなくなったときに初めて、その価値・重さがわかるものだ。

”どこかに簡単な仕事があるのではないか”という想像は、無教養な人が抱く”妄想”である。

鈍感な人が、”自分の鈍感さが他人に迷惑をかけている”という事実を知ることはない。

概して、鈍感な人ほど、自分を繊細だと捉えている。

繊細な人の常は、自分の鈍感さ・愚かさについてしっかりと捉え、毎日、それを改善する努力をしていることだ。

様々な経験を通して、自分の無知を悟る人は多い。だが、”自分は一体何を知るべきなのか”という問題について考える人は少ない。

2024年10月29日(月)

”他人が自分をどう感じるか”という問題について考えてみよう。本来、他人におけるその感じ方に心理的拘束はない。その理由は、一個の個人が心の中でどう感じるかは、一事が万事において”個人の自由”であるからだ。

廉潔(れんけつ)の美しさ・眩しさは、”世俗的な欲”で生きている人ほど骨身に沁みてわかるものだ。

2024年10月20日(日)

相手の心の中の真実は、想像ではなく、”感じる”ことによってそれを知るものだ。

凡人の常は、行う理由よりも、”行わない理由”を探すことだ。

思考する一分の時空間は、思考しない一日の時空間を遥かに超越する。

言葉で説明する美意識は、何の意味も生じない。本来、美意識とは、自らそれを行って初めて意味を成すものだ。

2024年6月30日(日)

明日ではなく、今日の今現在のために全エネルギーを投入すると、今日の今現在が変わり、明日も変わる。

常に輝いている人の典型は、できないことをやろうとする人ではなく、できることをやる人だ。

うまく歩けないときは、靴紐を結び直してみよう。

2024年6月14日(金)

痛みは、長く付き合えば付き合うほど、自分への警告であることがわかってくる。

2024年6月12日(水)

総じて、後ろよりも、前ばかりに気を取られる人が多い。今、考えてみよう。本当にそれで良いのかということを。

長い小説ではなく、”ほんの一文”が、一人の人間の人生に大きな影響を与えることがある。

”読む”ということと、”読み込む”ということの違いについてわかるようになるには、様々な人生経験を積むことが必要である。

恥を曝(さら)す人が、前に進む。

名刺に意味はない。真の名刺とは、その本人の”汗”と”涙”だ。

2024年6月11日(火)

危機意識を持たないその有様こそが、最大なる危機的状況である。

1年を10回やると10年。その10年をあと何回できるのか考えてみよう。

死について考えてみよう。その理由は、死について考えれば考えるほど、”生の質”が向上するからだ。

2024年6月10日(月)

天まで続く一直線の基軸を見る人は、どのような状況においても、すこぶる強い。

横並びの事物しか見えない人は、事あるたびに右往左往する。

2024年5月29日(水)

一度失った信用を取り戻すには、信用を失う前までの努力と比べて、実に”桁違いの努力”が必要になる。この様相は万国共通である。

人と人との関係において、”健全なる素直さ”に勝るものはない。

鈍感な人が、”自己の鈍感が生じさせる暴力”について知ることはない。

健全なる繊細性は自己の生の質を上げ、不健全な繊細性は自己の生を病的なものにする。

病の多くは、自分自身でつくり出すものである。

一個の人間の品性の真実は、最後の別れを告げるときに露見する。

2024年5月19日(日)

理性的に生きようとすればするほどに、毎日、新たに多くの難題に遭遇する。

野生動物として生きている人は、”鉄の壁”を見ることはない。

やるべきことを真剣にやればやるほどに、自分の目の前の”鉄の壁”の厚さがより厚くなり、その高さがより高くなる。

2024年5月4日(土)

何も感じなくなると、何も考えなくなるのが凡人の常。

他人を変えるための得策は、まず第一に自分が変わることだ。

何かを感じたとき、何かを考えるのが賢人の常。

2024年4月24日(火)

相手の顔の表情は、自分の心の中の鏡である。

活字表現に限界はない。

美しい詩を鑑賞すると、”生きる力”がわいてくる。

美しい詩を鑑賞すると、”生きる道”が見えてくる。

生きるとは、生むことだ。

2024年4月15日(月)

素直な生き方に勝る生き方はない。

後悔することも、人生における意味ある経験だ。

後の祭りを経験すると、”祭りそのものの真意”を悟る。

手遅れの概念は、極めて地域的な概念である。これを普遍性の範疇で捉えるならば、手遅れとは、”人間が抱く勝手な思い込み”でしかない。

生の真意は、死を迎える直前にわかるものだ。

2024年4月8日(月)

今現在は、嘘をついて真実から逃避し、一安心。だが、後に時を刻み、その”嘘の恐ろしさ”に直面し、”逃避した時以上の困難”を経験する。人は大抵、多くの失敗を重ね、このことを悟る。

他人に対して自分が望まないことをすると、後に、自分も、他人から同じことをされる。これは、世の中の常だ。

嘘は、それを発した瞬間、嘘の空気感をつくる。

真実は、真実の空気感をつくる。

他人を愛すると、自分も他人から愛される。

”自己中心的な我”と”自己認識”は、それぞれ異なる概念である。

大気圏に生息する生命体にとって雨は必要不可欠だ。しかし、生命体は、雨が降れば降るほど、”雨の意味”について盲目になる。

愚者が愚者に道案内されると、共に溝に落ちる。愚者は、溝に落ちて初めて、このことを知る。

賢者が愚者に対して道案内するとき、賢者は、愚者が想像する以上に”自己の体力と気力”を消耗する。

知恵ある者は、”騙されたふり”をするのが上手である。

ほとんどの人間は、”正しいことは何であるか”を知っている。だが、正しいことを”そっくりそのままの形”で行える人間はごく僅かだ。

嘘つきには、嘘つきが集まる。

”頭の中で考える最善の策”と”心の奥で感じる最善の策”は、それぞれ異なる場合が多い。

2024年3月31日(日)

自己の死を意識して生きる一秒一秒に、”世界で唯一無二の美意識”が内在する。

メール依存症は、心の病の一種である。

知恵ある者は、人間の声には二種あることを悟っている。一つは、すぐに忘れる声。そしてもう一つは、決して忘れることのない声。

日本語をしっかりと喋ることができない生粋の日本人が、日本語以外の言語でしっかりと喋れるようになることは不可能だ。

毎日、意気揚々と生きている人ほど、実のところ、心の中で真正面から”自己の死”と向き合っているものだ。

2024年3月29日(金)

必要なことを言うよりも、不必要なことを言わないほうが難しい。

2024年3月24日(日)

本来、荷物とは重いものだ。

賢者は、前を見る前に、”自分の足元”を見る。

新しいことをやるよりも、今やっていることを続けるほうが難しい。

事あるたびに新しいことを始める人は、何をやっても続かない人だ。

愚か者にとっての価値ある学びは、自分よりも優れた人を見るのではなく、”自分よりも劣っている人”を見ることだ。

人は大抵、上ばかりを見る。だが、考えるヒントは、上ではなく”下”にある。

理想的な生き方を実現している人は、理想について、それを理想とは捉えていない。理想的な生き方を現実にしている人は、躊躇なく、”その理想通り”に生きている人だ。

言うだけで何もしないのは平凡人の常。

本当に幸せな人とは、黙って、やりたいことをやっている人だ。

2024年3月18日(月)

自分の妄想が”自己顕示欲を源泉とする被害妄想”だと悟ったとき、最善の解決策は、”本来の素直な自分”に戻ることである。

人生に、”手遅れ”という事態はない。

謙虚は幸福を生む。

傲慢は不幸を招く。

人は、たとえ刑務所に入っていても、何が正しいことか、そして、何が悪いことかを知っている。

”自分の心の狭さ”、・・・このことについて良く知っているのは、他人ではなく、自分自身である。

嘘は一過性。真実は永遠。

人から何かを聞いて腹が立つのは、そこに真実があるからだ。

生きるとは、一事が万事において、何かを学ぶことである。

思考が行動を生み、行動が思考を生む。

答えは、常に、”今現在の自分の有様”に内在している。

肝心なのは、他人の有様ではない。肝心なのは、一事が万事において、”自分自身の有様”である。

前に進む方法はたった一つしかない。それは、”実際に”前に進むことだ。

2024年3月17日(日)

思う存分、自分が行ったことについて後悔してみよう。その理由は、後悔し、そして、反省するならば、より価値のある次をつくれるからだ。

明日ではなく、常に、”今日の今”が勝負どころだ。物事を実現する人は皆、例外なく、このことを悟っている。

未来を見ている人は、常に、過去を見ている。

人間の生の質は、新しいことを始めることにあるのではなく、”今現在行っていることを続けられるか否か”に内在するものだ。

偽物は、主張することに重きをおく。一方。本物は、伝えることに重きをおく。

主張しても、伝わらなければ意味がない。

2024年2月28日(水)

たった一言の自己中心的な言葉が、事の流れを大きく変えることがある。

客観と主観は、まさに紙一重である。

2024年2月11日(日)

可能か不可能かについて捉えるのは理性ではない。それを捉えるのは感性だ。大抵の場合、一人の理性的存在者がこの究極的境地を理性的に悟るときは、既に、すぐそこに”自己の死”が迫っているときだ。

2024年1月21日(日)

”善意の正直”と”馬鹿正直”。これら二つの正直は、根本的に異なる正直の様相である。

人間が人間である以上、自分が行ったことについて後悔しない人間はいない。

2024年1月14日(日)

他人の幸福を喜ぶ人が幸福になる一方、他人の不幸を喜ぶ人が不幸になる。このことは、時代や社会情勢に関係なく、”世の中の常”。

言うだけでやらないよりも、やって言わないほうが良い。

2024年1月10日(水)

知識や情報があっても、思索しなければ、それが生きることはない。

必要とされる知識や情報がなくても、しっかりと思索すれば、”事”を成すことができる場合がある。

舌を制する者が、他者を制する。

2023年10月23日(月)

心の中の動きや様相を”心模様”と呼ぶ。言うまでもなく、心模様は一過性のものだ。しかし、心模様を出発点とした深遠なる思索が”一つの精神”になれば、その精神は時代を超越して”永遠”に生き続ける。

必ず、自分が迎えるであろう”最期の一瞬”を想像し、しっかりと考えてみよう。考えれば考えるほどに、現在の自分自身の”生の質”が劇的に向上する。

生も死も、同線上にある。

2023年10月15日(日)

”余計な事を言わず、黙って目の前にいる人の気持ちを考えて行動する毎日”を過ごすと、自分自身も、もっと幸せになれる。

生まれたときは皆、白紙の状態だ。誰一人として、生まれたとき、性格というものはない。

本質論を述べるならば、性格とは、様々な経験を通して、”自分自身でつくったもの”である。

幸せも不幸せも、自分自身でつくるものだ。

どのような時代を迎えても、紙の本が無くなることはない。

私は、いつの日か、人類が、”土”と”紙”に戻る日を迎えることを切望する。

2023年10月11日(水)

美しい境地を体験具現するには、外からその美しさを見ているだけでなく、自分自身がそれを実際に経験しなければ、”その美しさの真髄”を知ることはない。

美しいものを、言葉で”美しい”というだけの人が、その美しさの中にある”本当の美しさ”を知ることはない。

下にいる人が、自分よりも上にいる人に対して”上から目線で述べる軽率な言葉”ほど、高慢、且つ、醜い言葉はない。

会話はできても、”対話”ができる人は少ない。

理論よりも理屈が下位。そして、理屈よりも屁理屈のほうが下位。

2023年10月8日(日)

今、気になることは、今、やってみよう。今、やれば、”やった後の過ごし方の質”が大きく変わる。

”友人はいない”と断言する人には、実のところ、日々、たくさんの人が寄ってくる。

”たくさんの友人がいる”と明言する人には、実際、リアルな友人はいないものだ。

言うだけでは残らない。だが、読めるようにすると、”残り”、”生き続ける”。

2023年10月7日(土)

知恵ある者における毎日の一秒一秒は、その一秒が、実に”緊急性極まりない一秒”だ。平凡と非凡の違いは、この”一秒”についての捉え方次第で劇的に変わる。

人間にとって最も恐ろしい有様は、やるべきことがわかっているにもかかわらず何もしないことだ。

真の贅沢とは、無思索状態で贅沢を追求することではない。真の贅沢とは、無意味、且つ、非理性的な贅沢から離れて、深遠なる思索と共に質素に生きることだ。

自分における真実を知りたいならば、自分の目の前の人の顔の表情をよく見てみよう。なぜならば、自分の目の前の人の顔の表情は、”自分自身の真実”を表しているから。

2023年10月4日(水)

正義は、”表から入る人”に力を与える。

正義は、”裏から入る人”に力を与えることはない。

2023年10月2日(月)

風の様相を捉えるとき、賢者は、風速だけでなく、”風向”にも注意を払う。その理由は、何事においても、事の行く末が、速さよりも”向き”に意味が生じることがあるから。

ほんの少しでもよい。できることだけでよい。今やるべきことは、”間違いなく”、やったほうがよい。

前に進める人の典型は、ほんの少しでも、毎日、継続してやる人だ。

前に進めない人の典型は、ほんの少しでさえ、毎日、やらない人だ。

人生の行く末は、できるか・できないかではなく、”やるか・やらないか”で決まる。凡人は、この考え方の真実性を悟るまでに、”人生の大半”を使ってしまう。

重要なのは、”できる”ということでなく、”とにかくやってみる”ということだ。それで、人生が変わる。

2023年9月30日(土)

限界の先にある”無限界の境地”を経験したとき、自己の人生において初めて、”自己の命の使い方”について悟る。

毎日、一秒一秒において勝負している存在者にとって、”一秒”は、凡人が捉える以上に長い。

四季があるからこそ、それぞれの季節を味わい、楽しむことができる。

2023年9月24日(日)

人は、”痛みの経験”を積み重ねながら、しっかりと自分を磨き抜いていく。

真の学びの道に、簡単な学びは皆無である。

”想像する経験”と、”妄想を抱く経験”は、それぞれ異なる経験である。

2023年9月17日(日)

体力と気力があれば”痛み”に耐えられる。しかし、体力と気力が消耗し過ぎると、”痛み”が体と心を支配し、やがて滅びの日を迎える。

より良く生きるためには、まず第一に、バランス感覚を維持することが必要だ。

暇とは、自分の心の油断が作り出すものである。そもそも、毎日、一秒一秒において自分を律し続ければ、暇な時間が生じることはない。

人間は、日々、事あるたびに自分自身が試されている。試練を乗り越える人は、この、”自分自身が試されている”という真実とその意味を悟っている人だ。

安っぽい知識欲から自分を解放し、”欲”を無にして学んでみよう。そうすれば、少しずつ、知識が身に付く。

過去において贅沢三昧の生活をした経験がなければ、”清貧”の美しさと清らかさを知ることは難しい。

毎日、リムジンを使うことの無意味さは、相当期間にわたってそれを経験しない限り、わかることはない。

相当なる人生経験がなければ、質素の美意識を理解することは難しい。

”納得する経験”と”導かれる経験”は、それぞれ異なる経験である。

賢者は、”なるほど”という言葉を、いたずらに使うことはない。一方、愚か者は、無思索状態で、この言葉を毎日使う。

自分の足で、しっかりと歩いてみよう。そうすれば、体だけでなく、心も健康になる。

慌てて他人に伝えたことは大抵、後に、その通りに行うことはない。

愚か者は、多くを語り、何も行わない。一方、賢者は、ほとんど語らず、多くを行う。

愛する人との距離感ほど、重要なものはない。その理由は、愛する人との”適切、且つ、妥当なる距離感”を維持しない日々を送り続けると、相手の心が遠くなり、見えなくなるからだ。

”そのうちにやれる”と思っていることは、大抵、やらない。

毎日、嘘ばかりついて生きている人は、やがて、”自分がついた嘘”に滅ぼされる。

行いは、常に、”正しいこと”を行うに尽きる。

笑われることは、楽しいコミュニケーションにおける一つの柱である。

単に笑うのは簡単。人から笑われるには、常に笑っているだけの人の何倍ものエネルギーを使う。

2023年9月13日(水)

今の一秒、次の一秒を如何に過ごすかで、人生の行く末が大きく変わることがある。

人生において最も恐ろしいことの一つは、”自分の鈍感が齎す暴力”について鈍感であることだ。

多弁は、時として、負の効果を齎す。

2023年9月2日(土)

他人が抱く”自分の印象や像”は、一事が万事において”自分自身”でつくっているものだ。

愚か者は、自分で自らつくっている”自分の印象や像”について、他人の所為(せい)にする。

正しいことを行いなさい。正しいことを行えば、他人は”その正しさ”をそっくりそのまま捉え、捉えた通りの印象を持つものだ。

人間は、毎日、正しいことを行いながら”生の価値”を高めていく生命体である。

人間は、毎日、正しいことを行うために食べている。決して、食べるために食べているわけではない。

2023年8月31日(木)

根っからの欲張りには、欲の際限がない。

欲で生きる人間は、”受ける側が投入するエネルギー”と、”与える側が投入するエネルギー”における巨大な相違について考えることはない。

2023年8月30日(水)

難しい経験をしているとき、”今が最期”と自分に言い聞かせながら取り組むと、その難しさが、難しくなくなる。

普遍性の中に生きている存在者は、二つの物差しを使っている。一つは、”普遍性の中で使う物差し”であり、もう一つは、”地球の表面で営む、日常生活で使う物差し”である。

”心眼”で事物を捉え、悟る存在者は、必要以上に、”肉眼”で事の成り行きを見ることはない。

毎日のように会っていても距離が遠い人がいる。一方、20年以上会っていなくても、常に心の中で生き続けている人がいる。この経験から導き出されることは、真の意味における人との距離感とは、実に、”心情的な距離感”であるということだ。

2023年8月29日(火)

凡人が捉える”茨”の道は、賢者にとっては、”必要不可欠な基礎”の道。

賢者は、毎日、真面目に、黙々と行動し続ける。

愚か者は、毎日、世俗的な欲に支配され、何らの意味もない美辞麗句を並べるだけ。

見た目・形はどうでもよい。大切なのは、行動の質そのものだ。

辛苦とは、経験し、生きる肥やしにするものであり、決して他人に対して披露するものではない。

2023年8月28日(月)

時代を超越して、”正直であることの大切さ”について説かれ続けられている理由は、たった一つ。その理由は、人間は、正直ではないからだ。

巷で、よく耳にする言葉がある。その言葉とは、”私は、嘘をついたことがないんです”という言葉。少々考えるとわかることだが、この言葉そのものが”無責任極まりない大嘘”。

一度嘘をついてしまうと、また、同じ相手にその話をするとき、最初の嘘を覆い隠すために、”さらに手のこんだ嘘”をつくことになる。

嘘は、最初からつかないほうがよい。

愚か者は、”正直”と”馬鹿正直”の違いがわからない。

一事が万事において、不必要に他人に対して優しくしてばかりいる人間が持つ真実は、”自己中心的な存在者”であるということだ。

無責任な優しさは、人を駄目にする。

真の愛は、優しさではなく、”厳しさ”である。

相手を本当に愛するならば、その相手に真実を伝えることが得策だ。

無責任に他人に対して優しくする人は、他人に対して優しいのではなく、単に、”他人から好かれたい”という願望を持っているだけだ。

愚か者は、”善”と”偽善”の違いがわからない。

世界には、僅かだが、人間の嘘を見通す超越的存在者がいる。

知恵ある人間が嘘をつくとき、”嘘をつく相手”を選ぶものだ。

2023年8月25日(金)

命は時間であり、時間は命である。

気になることがあったら、今すぐやってみよう。

偽物は甘口が好き。本物は辛口が好き。

甘口は、単に甘いだけ。

美意識の意識は、”永遠の意識”。

作家にとって、作品とは、”自分の子供”である。

覗くよりも、覗かれるほうがまだマシである。

嘘ほど、実に厄介な代物はない。

嘘では勝負できない。

終りは、新しい始まりである。

学ぶだけで考えない有様は、凡人の常。

誰も見ていないときの所作が、本人にとっての本当の所作である。

2023年8月24日(木)

甘口は、偽善のオンパレード。辛口は、たっぷりの愛情と正道。

偽物は、本物ばかりを見る。

本物は、他の人間が、”本物であるか、または、偽物であるか”について、ほとんど興味がない。

2023年8月21日(月)

行わずに実現することは不可能だ。

凡人は喋り、賢者は語る。

夜、眠くなる人は幸いである。

この世の中、見えても、それが何であるか、わからない人がほとんどだ。一方、見えなくても、わかる人はいる。

わからないのは、見えないからではない。

”自分の心の中”に相手が入るのは簡単である。しかし、”相手の心の中”に自分が入るのは簡単ではない。

2023年8月16日(水)

一秒休めば、一秒無くなる。

賢者は、必要に応じて、行いながら”休む”知恵を備えている。

叱られるよりも、叱るほうが、著しく気力と体力を消耗する。

使命と趣味は紙一重。

真の指導者には、指導する相手の先の”先”まで見える。

導かれたいならば、”導かれ上手”になる必要がある。

概して、鍛えられる人は、”可能性のある人”である。

子供は、一瞬にして、大人の心を読む。

”他人にとっての心の故郷”になれた人は、それだけでも、生まれてきた甲斐があろう。

真の友は、”うるさい友”。

2023年8月14日(月)

怠惰は、毒でしかない。

毎日の生活は、忙しいければ忙しいほど良い。

暇な人は、無意味に暇を持て余し、陸(ろく)でもないことしか考えない。

忙しい人は、さらに時間を捻出し、価値のあることを考える。

賢者は、暇をつくらない。

愚か者は、率先して暇をつくる。愚か者が暇をつくれば、単に、無駄な時間を過ごすだけだ。

無駄な時間を過ごすことほど、”無駄三昧”な経験はない。

理性的存在者は、自己における無駄三昧の実体経験を介して、理性的に、”無駄の無価値性”について認識・理解する。

2023年8月13日(日)

穴は、入るよりも、掘るほうが大変だ。

逃げるのは簡単。卑怯者は、やってみることよりも、逃げることを先に考える。

できないことと、やろうとしないことは違う。

卑怯者は、やろうとしないことを、”できない”と言い、話を摩(す)り替える。

正しいことは、とにかく、”やる”に尽きる。

人間は、日々、正しいことをやり続け、”正しい人間”になっていく。

人間は、正しい人間になったとき初めて、真の意味における善と悪の違いを悟り、自己の命で”善”を行うようになる。

2023年8月5日(土)

原点に帰るには、勇気が必要か。勇気は必要ない。必要なのは”基本”である。

思い違いが生じる主な原因は、自己における基本の欠如である。

汗を流すことなく苦労しないで得た宝物の”真価”について、それを悟る日はやって来ない。

目に見える財産は、想定していなかった緊急事態が起こると、一瞬にして”無”となる。この悲惨さの真実は、歴史を振り返れば一目瞭然でわかることだ。

理性的存在者は、自分の理性の中に財産を持つ。

災難の原因は大抵、自分にある。

幸福の源は大抵、自分が流した汗の中に潜んでいる。

明日、幸せな時間を持てるか否かは、明日ではなく、”今日の今現在の自分の時間の過ごし方”にかかっている。

本当に目を覚ました人が、他人に、”目を覚ました”と、言葉で言うことはない。

本当に目を覚ました人は、黙って行動する。

2023年7月30日(日)

幼少期の心の傷は、良心の構成要素の一つ。

人間は、道徳と良心の違いについて自らの経験を通して悟ったとき、”自分独自の良き生き方”を確立する。

妥当なる社会的存在者として生きるには道徳が必要。一方、他人にはわからない、自分独自の正道を歩むには”良心”が必要。

無教養な人が、無教養が齎す暴力について知るには、”自分よりももっと無教養な人が齎す暴力”について静観し、”その暴力性の恐ろしさ”を知ることが近道だ。

経済的な安心・安全を与えることで人を制しても、その相手の”心の中の自由”までも制することはできない。

真の意味での刑務所は、実のところ、”自分の心の中”に存在する。

長い年月にわたって、心の中の刑務所に入っていた”自分の悲劇”を悟る時は、最期を迎える時。

人は、簡単に誓う。だが、誓っても、その誓いを行う人はごく僅か。

本当に重要な決断をした人は、その決断について、他人に言うことはない。

言って行わないよりも、黙って行うほうが、より高貴である。

青空は美しい。だが、一事が万事において青空に魅了され続けていると、自己の思考が鈍化・停止し、”盲目”そのものになってしまう。

人は、望むことしかしない。だが、望んでいても、それをやらない人がいる。この様相は、”愚か”そのものだ。

伝えることがあっても、それを伝えるには、それに見合うだけの汗が必要だ。

2023年7月29日(土)

私も弟子も、暇をつくらない。その理由は、暇をつくることは、”人生における限られた時間”を無駄にすることだから。

自分が何年生きるかという問題は、”自分がどれだけの時間を生きるのか”ということである。つまり、人生の長さは、”時間の長さ”ということだ。

明日も明後日も、”今の連続”である。

量よりも質。質よりも”意義”。

人を見るよりも、人から見られるほうが幸いである。

来る日も来る日も、”銭金が齎す安心”にぶら下がって生きていると、発展的思考が鈍化・停止し、著しく老化が進む。

自分自身、なりたい人よりも、”なりたくない人”をしっかりと観察してみよう。そうすれば、そうならないためにはどうしたらよいか、鮮明に見え、わかってくる。

痛みは実に痛いが、痛い経験ほど、”真実に生きる意味”を教えてくれる。

広い意味で言うならば、言語能力は、”所作の一形態”である。

2023年7月23日(日)

”自分の心の中に相手がいる”という様相と、”相手の心の中に自分がいる”という様相は、それぞれ異なる様相である。他者と絆をつくれる人は、この二つの違いについてわかっている人だ。

友達の数は、少なければ少ないほどよい。

友達の数が多い人ほど、本当の意味での友はいない。

真夜中の”しじま”に勝る清らかな時空間はない。

2023年7月22日(土)

賢者は、”手遅れ”と判断したその瞬間、即、動く。

賢者は、後がないと感じたとき、別の方法で”後”をつくる。

賢者は、針の先端に立ち続けているとき、”この先端がなかったらどうなるか”について、自分自身に問い続ける意味を知っている。

念を入れる人にとって、”雑”である有様は、まさに恐怖そのもの。

叱られる人ほど、幸いな存在者はいない。

本物が集まる場所では、できる人ほど、”粗探しの的”になる。

2023年7月17日(月)

真理への道のりは、実際、”極めて狭い道のり”である。真の指導者は、その道のりについて、間口を広く見せ、道幅を広く見せ、自分の命で愛する門弟に”実行可能な道筋”を与える。一方、偽りの指導者は、”その道のりの狭さ”について、間口も道幅も、そっくりそのまま、”狭いままの状態”で見せるだけだ。真理の道を歩む門弟は、少なくとも、前述の両者における”相当なる違い”について認識・理解しなければならない。

すべて、”自分次第”で大きく変わる。

何も変わらない。変わらない理由は頗る明白である。変わらない理由は、まず第一に、”自分の行動”が変わらないからだ。

2023年7月15日(土)

毎日、命で一秒を刻み続けると、”一秒の中には膨大なる可能性が潜んでいる”という”地域的”叡智を悟る。

静かに考えると、一つ、わかることがある。それは、考えると、その先にまた、”考えることがある”ということだ。

生きている以上、考えるという経験に、終り、即ち、”最後”はない。

ただ見ているだけの経験は、無駄な時間の鏡。

やってみると、”前”に進める。

2023年7月13日(木)

他人の心の痛みの有様は、その事に関して自分自身の心が痛まない限り、その”痛み具合”を知ることはない。

無思索は、知らないうちに、様々な問題を生じさせる。

愚か者は、生かじりの知識を他人に披露しようとする。

2023年7月12日(水)

一個の人間における品性の真実は、どのように偽っても、遅かれ早かれ、自ら露見する。

安っぽい詭弁を使って真実を隠そうとする人が発する言葉には、”その本人の嘘を臭わせる言葉”があるのが常。

愚か者は、”嘘は脆く、真実は強い”という理法を知らない。

2023年7月9日(日)

年を取ることに恐怖を感じることはない。だが、この過ぎ去る一瞬一瞬において何もしないことには、最大の恐怖を感じる。

日々、”自分は、社会のために何ができるか”と考えて生きていると、生の質が劇的に向上する。

他人の目を気にすることはない。他人は、自分が思うほど自分を見ていないから。

人はしばしば、”悲しいことは誰にでもある”という真実について忘れる。

賢者は、悲しい時こそ、前向きになる。

悲しさに負けるのが凡人の常だ。悲しさに負けるよりも、悲しさに勝つところに、自分の生の意味が存在する。

”寝る前の自分”と、”目を覚ますときの自分”の間には、何ら境界線はない。

普遍的立ち位置から述べるならば、”生”と”死”の間には、何ら境界線はない。

無思索が限界を生み、思索が”無限界”を生む。

人から導かれる人にはわからないが、人を導く経験には”痛み”が伴う。

2023年7月7日(金)

人生は、今日の今現在の時空間の連続でつくられている。

明日という日は来ない。なぜならば、明日になると、その日は”今日”になるから。

2023年7月2日(日)

毎日、一秒たりとも時間を無駄にしない人は、過去において時間を相当無駄にした経験の持ち主だ。

痛みの”痛さ”は様々。

多額の借金を抱えていても、今現在、生きることに喜びを感じる人は、幸せそのもの。

多額の貯金がある人でも、今現在、生きることに喜びを感じない人は、不幸そのもの。

幸福に対する自分の意識は、何を持っているかでははく、”今現在、自分自身の心が満たされているか否か”で決まる。

今現在、十分に幸せなのに、毎日、幸せを追い求めるている人に、”自分が望む幸せ”が到来することはない。

”限り”の意味を悟ったとき、その限りを越えられる。

”限り”の意味を知らない人が、限りの範囲を越えることはない。

心の奥底に潜んでいる”自分自身の真実”と対話する人間は、ごく僅かだ。

毎日、隙間なく、一本の針の先端に立ち続ける人は、過去において一本の針の先端に立ち続けているとき、”誰も見ていないから大丈夫だろう”と考え、針の先端から降り、大失敗をした経験の持ち主だ。

油断は、自分にとっての敵であるだけでなく、長年にわたって自分が築いてきたものを崩壊させる代物だ。

2023年6月28日(水)

後悔するときは、その事で後で再び後悔しないように、思う存分後悔するとよい。

”私は後悔しない人間だ”と、躊躇なく断言する人がいる。だが、それは嘘だ。人が人である以上、多かれ少なかれ、後悔したことのない人は皆無であるから。

少しでも多く恥をかいたほうが、充実した時間を過ごせるものだ。

恥をかくことを恐れて何もしないことほど、時間の無駄そのもの。

自分が本当に望むことをして、たくさん恥をかこう。恥をかけばかくほどに、”生の味”が美味しくなる。

2023年6月25日(日)

続けると鋭くなり、休むと鈍くなる。これは、この地球の如何なる文明社会においても共通する定理である。凡人でも、この定理を”理屈”として理解できるが、実際にこれを行える人はごく少数である。

慣れたとき、二種の人間がいる。一種は、慣れたとたんに注意を怠る人。そして、もう一種は、慣れても初心を忘れず、”初心者”として最大の注意を払い続ける人。

正真正銘の本物は、常に、初心者としての心構えを忘れることはない。

本物は、常に、下を見る。

偽物は、常に、上を見る。

2023年6月24日(土)

盗むより、盗まれるほうがよい。

嘘は、それを開示すれば、嘘でなくなる。

身勝手、且つ、安っぽい自己都合で他人を騙す人が、相手に対する大きな愛情から”騙されるふりをする人の懐の深さ”を知ることはない。

他人に対して不道徳を行うと、後に、その不道徳が自分に跳ね返ってくる。これは、決して回避することができない”自然の摂理”そのものだ。

”・・しようと思っている”程度の思いでは、それが現実になることはない。思いを現実にするには、構想を練り、具体的な計画を立て、それを行うことが必須である。自己実現できない人の典型は、常に、”・・しようと思っている”と言い続ける人である。

2023年6月15日(木)

脳は、休ませれば休ませるほど、退化する。

”超越的”学問として断言する。脳の老化を防ぐ唯一無二の方法は、限界の限界まで勉強することである。それ以外に方法はない。

人間は、脳のほとんどを使わないで、人生の終焉を迎える。

”超越的”理性的存在者は、地球はもちろんのこと、太陽系、銀河系、そして、宇宙空間の隅々まで行くことができる。

”知性と脳の関係性”と”理性と脳の関係性”は、実に、雲泥の差と断言できるほど、それぞれ異なる関係性である。”知識の断片”を暗記することに時間を費やしている人間には、このことを知る余地もない。

理性の偉大さの真実を知る最も良い方法は、”真の理性的存在者の導き通り”に学問を行うに尽きる。

単に地域的な事項について脳を使っても、それは、”理性的に脳を使っている”ということにはならない。

無知・無見識・無教養の者が、非理性的に、”暗闇”という環境設定に酔う。

2023年6月14日(水)

”本物になりたい偽物”は、一事が万事において、接する相手が本物であるか偽物であるかということが気になって仕方がない。

”本物になりたい偽物”が本物と接するとき、その偽物の心の中には損得勘定がある。

本物は、損得勘定で人と接することはない。

”正真正銘の本物”は、接する相手が本物であるか偽物であるかということには興味がない。なぜならば、自分自身が本物であるから。

本物の関心事は、常に、他の人々を、”人間として正しい方向に導く”ところにある。

他人に何かを言われて腹を立てるときは、そのことが”自分の真実”である場合がほとんどだ。

学問における近道は、そのすべてが”遠回り”となる。

他人から、少々の助言を受けて腹を立てる程度の”安っぽいプライド”であれば、そのようなプライドは、思い切って、”一気に”捨てた方がよい。

安っぽいプライドは、”安っぽい生き方”の源泉である。

幸せな生き方の根幹は、常に、”挨拶”にあり。

物事の終わりは、物事の始まりである。

2023年6月12日(月)

凡人は、長年にわたって数多くの訓練の経験を蓄積して初めて、訓練の意味を知る。

凡人は、初期的訓練を受けている過程においては、訓練の意味を知ることはない。

凡人の常は、訓練から逃げることだ。

凡人の常は、一事が万事において、自己の考え・行いについて、”非理性的に”正当化することだ。

賢者の常は、一事が万事において、自己の考え・行いについて、自らの命で、”理性的に”戒めることだ。

古今東西において共通して言えることは、自己を戒める必要性のない存在者ほど、”極めて厳格に自己を戒める”ということである。

凡人の常は、自分を”安全な場所”に隠して、他者の動きを見るということである。

賢者の常は、自分の身を危険にさらして、無知・無見識・無教養な人々に本質・真理を伝え、正道に導くということである。残念な真実だが、通常、凡人は、このことに気づくことはない。

金ではない。汗だ。

理性的存在者は、この世を去る直前に、金よりも”汗”を思い出す。

2023年6月10日(土)

幸せなことを”幸せ”と感じることが、最も幸せな有様である。

理解と誤解は紙一重。

気力は、体力を超越する。

2023年6月9日(金)

理性的存在者は、”知識の量”で人間の価値を判断しない。

長年にわたって失敗を積み重ねた人が、”底力”を養う。

賢者は、雑多な知識を増やすよりも、”生の質”を高めることに重きをおく。

雑多な知識に、力が宿ることはない。

2023年6月8日(木)

知能を賦与された人間が経験するべき最も尊い経験の一つは、”真理の面前で首を垂れる”ということだ。

人間は、教養があればあるほど、真理の面前で”自己の無知・非力”について思い知らされる。

人間は、教養がなければないほど、真理の面前で”暴力”・”奇行”を行う。

学問の道とは、その道を歩めば歩むほどに、”自分は何も知らない”という真実を知る道である。

愚か者は、自らの無知から、躊躇なく、”釈迦に説法”を行う。

愚か者が経験するべきことはたった一つ。それは、汚れた自分を清めて、”知らないこと”を学ぶことである。

本来、学ぶことの意味・意義は、”自分が知らないこと”を学ぶ経験に在る。

本物は、目の前の相手が本物であるか偽物であるかを問わず、誰に対しても同じ態度をとる。

偽物は、目の前の相手が本物であるか偽物であるかによって、一瞬のうちに態度を変える。

2023年6月7日(水)

人生経験が豊富な人間は、多様な経験を通して、”人間と獣の間は紙一重である”という人間の本性を悟っている。

”理解”と”悟り”は、天と地ほど違う。

賢者はしっかりと”地”を見、愚者は実に簡単に”天”を見る。

底は、現実の鏡。

明日において、その明日を迎えれば”今日”である。つまり、明日という一日はない。それ故、人間は毎日、”今日”を生きるのみである。

2023年6月5日(月)

社会生活における人間関係では、付き合いが始まる最初の時点ではなく、付き合いが終わる最後の時点において相手がどのような終わり方をするかで、”その相手の人間性の真実”が一目瞭然でわかる。

言葉では美しい生を希求していると明言する人でも、いざとなると、平気で嘘をつき、”醜い本当”を露見する。

人間は常に、”悪”を行う方法を模索している。なぜならば、正直に生きるのではなく、”悪”を行ったほうが楽な生き方ができるからだ。

悪を行うと、長年構築してきた英知が大崩壊し、元の木阿弥となる。

人は皆、本当はどうしたら良いかを知っている。だが、その本当をできる人はほとんどいない。

長年にわたってどのような理想論を唱え続けた人でも、目の前で現金を積まれると、一瞬にしてその理想論を放棄する。

人間が原点に戻るとは、”純粋無垢な美しさに戻る”ということだ。このことは、社会経験が無の状態の赤ん坊を見ればわかることだ。

経験には二つある。一つは、自分を成長させる経験。もう一つは、自分を堕落させる経験。

2023年6月4日(日)

形に支配される存在者は、自己の存在性に内在する本質について知ることはない。

人を愛するということは、損得勘定なしで、その”愛する相手”のために何でもできるということである。だが、この愛し方を行える人は、ごく僅かだ。

真の意味における無の境地とは、自分のための境地ではなく、”人類の幸福”を実現するための境地である。本物は、この境地への道のりを、日々、”無言”で歩む。

無神経は、暴力の一形態である。

ほとんどの人間は、”理性とは何か”を知ることなしに、一生を終える。

人間は、死を迎える直前に、欲で生きることの無意味さを悟る。

欲の醜さは、顔に出る。

無欲の美しさは、顔に出る。

欲とは、”人間に仕掛けられた罠”である。欲とは何かを悟っている者は、この罠にかかることはない。

固定観念に”固定”される経験は、無意識のうちに、人間が備える創造性を腐敗させる。

固定観念に支配されている人ほど、既に自分自身が支配されている”その固定観念”に気づかない。

2023年5月29日(月)

自己の限界まで頑張ると、今まで見えていなかった限界の境界線が見えてくる。ところが、その境界線を越えるほど頑張ると、これまで考え、捉えていた自己の限界は、”真の限界”ではなかったことに気づく。

いわゆる凡人が捉える自己の限界とは、何の根拠もなく、無意識のうちに信じ込んでいる”典型的”限界である。人間は、この典型的限界から自己を解放できたときに初めて、”理性”の面前で、自己の無経験、愚かさ、そして、”非理性性”を知る。

自己の”非理性性”を知ることは、理性的存在者への道のりの第一歩である。

自己の殻に閉じこもることは、一個人の性格や個性ではない。自己の殻に閉じこもることは、一個人の自己中心的なエゴの典型的形態である。自己の殻に閉じこもる人は、ほとんどの場合、この不必要な殻を自分から壊そうとしない。

”道徳に生きる”ことと”意味のない典型に生きる”ことは、根本的に、それぞれ異なる有様である。

2023年5月28日(日)

時間を潰すことは、時間を捨てることだ。

時間を捨てることは、人生における限られた時間を捨てることだ。

知性は、使えば使うほど進化し、使わなければ使わないほど退化する。

三次元の”限界性”の範疇に自己が在るのか、それとも、三次元の”無限界性”の範疇に自己が在るのか。これら二つの違いがわかる人が、理性の扉を見つけることができる。

理性の扉を見つける様相と、理性の扉を開ける様相は、それぞれ異なる様相である。

2023年5月27日(土)

しごかれる経験は、磨かれる経験だ。

他人からやさしくされることに甘んじる日々を送り続けていると、やがて、自分の心と精神が退化する。

単に、他人にやさしい人は、本当の愛を行わない人である。

常に他人に対して真実を言う人ほど、他人を愛する人である。

卑怯者ほど、自分の真実を直視しようとしない。

継続の威力は、”具体的な何か”を継続しない限り、それをわかることはない。

賢者は、溜息をついたその瞬間、その当事者に対して意表を突く策を練る。

2023年5月26日(金)

哲学を必要としない学問領域はない。

時を刻みながら思索し行動すれば、時に”独自の価値”を齎す。時を刻んでも、思索し行動しなければ、単に時を刻むだけで何も変わらない。

歴史とは、”記述された過去”を指す。だが実際、記述された過去の歩みは、ほんの少ししかない。

2023年5月24日(水)

雲の上のものでも、毎日、よそ見をせず限界の限界まで学び続けていると、やがて、自分自身が、その雲の上のものの化身になる。

足踏みするにも、エネルギーを消耗する。どうせ消耗するなら、”前”に進んでみよう。

形而上学者は、”じっとしている時”が一番忙しい。

リスクのない試みはない。

安心・安全とは、思索しない人が抱く妄想である。

行先が明らかな人の典型は、常に、その本人が夢想家であるということだ。

2023年5月22日(月)

如何なる国や社会においても、”真実に生きる人”が最も輝く。

他人の嘘を見抜く人の面前では、”最初から嘘をつかない”ことが得策である。

事あるたびに平気で噓をつく人でも、”本来、嘘をつくことは悪いことである”という理屈を知っている。

願いは、単に、願うだけにとどまらず、しっかりと叶えるもの。

人間が無意識のうちに持つ心の病の一つは、本当はできるのにやらないことだ。

2023年5月21日(日)

自分がやりたいことを始めるとき、”もう遅い”という言葉はない。

人は、自分が思うほど、自分を見ていない。

たった一人でいるときの所作・身のこなしこそ、その本人の真実である。

多くを求めなければ、やがて、多くを得る。

度を越えて欲張ると、本来、得られるものすら得ることができない。

物事には、”程度”というものがある。

思索しない行いは、しばしば、”負の効果”を齎す。

一事が万事において助言を受けるだけの人は、常に助言を与える続ける人が投入する”愛情とエネルギーの膨大さ”について知ることはない。

自分が本当に望むことは、口に出すことなく、無言で行うものだ。

”やらない”であろうことを、簡単に”やる”と言うのが、人間の常。

本の”正しい読み方”は、本を書いている人に尋ねるとよい。

”理性を源泉とする怒り”と”感情を源泉とする怒り”の二者には、実に、天と地ほどの相違がある。

理性法には、”美味しいところだけを取る者は、やがて、その美味しいところが取れなくなる”という法が存在する。

必要な経験に、美味しいもまずいもない。必要な経験は、そのすべてが美味しい。

2023年5月19日(金)

賢者は、自己の無知・無見識を”恐怖”と捉える。

感性的存在者は、人間の声に加え、”人間の音”にも敏感である。

”超越的”理性的存在者は、同時に、”超越的”感性的存在者である。

”感覚”と”感性”には、天と地ほどの相違がある。

概して、凡人が指す感性とは、”感覚”のことだ。

2023年5月18日(木)

正しく生きる生き方にまさる生き方はない。

自分の足下を見ると、先が見える。

先ばかりを見ていると、自分の足下が見えなくなる。

古今東西において、”自分の足下を見ない者が、確かな先を見、確かな歩みをした”という例はない。

2023年5月17日(水)

目指す境地は、実のところ、究極的な境地ではない。なぜならば、目指す境地に到達した瞬間、より高いところに、より崇高なる境地が見えるから。

愚か者は、”言って”、物事に混乱を生じさせる。賢者は、”言わずに”、物事を制する。

人間は、心の満足感の量で、無意識のうちに”自分自身の幸福度”を感じ取る。

顔の表情は、心の鏡。

単に待つだけは時間の無駄。待つなら、行動しながら待ってみよう。

人生において最も大切なことの一つは、”己の愚かな言動について敏感に感じ取る”ということだ。残念な真実であるが、ほとんどの人間は、このことについて頗る鈍感である。

生井利幸著「賢者となる言葉 三〇〇篇」・・・コールサック社・合同出版記念会における生井利幸の話(2023年12月2日(土)、東京・高田馬場にて)

2023-12-03

今日の言葉(修正)

2023-05-12

自分が他人のためにした事は一生涯忘れない一方、自分が他人からしてもらった事はすぐに忘れる。これは、多くの人間が持つ”悪い側面の常”。

今日の言葉

2023-05-10

滅びの道について達観している者こそ、真の繁栄の道を歩む。

今日の言葉

2023-05-10

生きる道は、学びの道である。

今日の言葉

2023-05-09

正しいことは、他人から説かれて行っても何ら意味を成さない。正しいことは、自分で目覚め、自分自身の意志で行わない限り、そこに意味が生じることはない。

今日の言葉

2023-05-07

嘘は最初からつかないほうが良い。なぜならば、一度嘘をつくと、再びその話になったとき、また同じ嘘をつくことになるからだ。

今日の言葉

2023-05-07

賢者は、年を取ることに恐怖を感じない。だが一方、賢者は、”今日の今現在、何もしていない”という自分の真実に最大の恐怖を感じる。

今日の言葉

2023-05-07

学びの質は、単に学ぶだけでなく、”学べるという機会に対して心からの感謝の念があるか否か”で決定的に変わる。

今日の言葉

2023-05-01

概して人は、悪事を働いた後、その行為の酷さについて気づく。だが一方、愚行を働いた後、”自分自身の社会常識の欠如から行ってしまったその行為の愚かさ”について気づくことは少ない。

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