読み物カテゴリ: ‘哲学詩’
”形に支配される”という悲劇
”形に支配される”という悲劇
形、
それは、本質不在の代物
形、
それは、”理性の使い方を知らない人間”を惑わす代物
前を見ても後ろを見ても、
右を見ても左を見ても、
本質不在の形ばかりが目につく
思うに、最初から、
形を形として捉える必要はない
なぜならば、人間は、
長い年月を通して自分自身が形に支配され、
人生の節目にその経験を回顧することによって初めて、
”形の中には何もない”、という真実に気付くからだ
では、本質はどこにあるのか
たいていの場合、
本質を目で見ることはできない
見えないものを見てみよう
見えるものに支配されるのではなく、
見えないものを見たとき、
人間は、”賦与された理性”の使い方を知るようになる
愛情と慕情
愛情と慕情
人は、明言を好む
明言は、人に安心を齎す
安心して経験する言葉は、
果して、本当に安心なのか
人は、言葉を聞いたり、読んだりすると、
一度は、ほっと一息つく
だが、実際のところ、それで終わることはない
今、考えてみよう
明言された言葉が自分の身体に入ったあと、
”自分の中に新たなる情感が生まれる”、ということを
情感、
それは、時に、”心の中の一つの慕情”に変わっていく
慕情、
そこには、計り知れない深遠なる愛がある
慕情は、自ら生み、自ら育む”この世でたった一つの愛”
愛情と慕情、
人は、様々な人生経験を通して、
愛情と慕情の違いを悟っていく
絆
絆
絆は強い
絆の強さに勝るものはない
鎖は脆い
鎖は、いずれ、砕ける命運を背負っている
絆は強い
絆には、人間の生と死を超越した結び付きが内在している
絆は、
人間と人間を結び付け続けている”永遠なる命の権化”
人間同士の”永遠なる融合”、
人間は、この融合の実現を目指して生きるが、
実現する人間はほとんどいない
”他者との融合の美しさ”を実体経験した人間、
その人間は、やがて、
”人間存在の究極的境地”に辿り着く
生きることの美しさ、
いや、これは、
”存在することの美しさ”を指すものだ
正道と邪道
正道と邪道
私は、毎日、朝一番に旅に出る
旅には出るが、私の身体はそのままだ
朝の旅は、新鮮そのもの
旅の鮮度は、
直接、旅の質にかかわること
朝の旅は、
まさに、自分の”出所”に戻る旅
毎朝、自分の出所に戻る時間は、
自分の生き方を調整・微調整する時間
正道と邪道
正道は、正しい道
邪道は、正しくない道
自分が歩む道が、正しいのか、
それとも、正しくないのか
そして、いったい誰がそれを決めるのか
人間が人間である以上、
どのような人間においても、時として、生き方に”ぶれ”が生じる
ぶれは、人間を邪道に引き寄せる
人生の終焉を迎える日まで、旅をしてみよう
毎朝、自分の出所まで旅に出かければ、ぶれることはない
ぶれなければ、正道から外れることはない
正道、
それは、夢想家が、いたずらに夢見る道ではない
正道、
それは、人間が、人間らしく生きる道
正道、
それは、人間が、人間として、正しく生きる道
命
命
命とは何か
命とは、言うなれば、
広大な宇宙空間におけるたった一つの存在物
一個の命は、
無数にある存在物の中の”たった一つの存在物”
そして、それは、埃よりも微小なる存在物
命に命はあるのか
命は命そのもの
命に、”対となる完全なる化身”など、
宇宙空間のどこにも存在しない
人間は、しばしば、
”命をはって生きる”と断言する
だが、命をはって生きるその姿は、
実のところ、自らの命で生きているわけではない
一個の人間が命をはって生きても、
その生き方の中に”命”はない
生き方の中に”命”が存在する生き方は、
一個の存在物が、”自己の命”を生きる生き方
命を生きてみよう
命を生きる存在物は、
いずれ、実現したいことをしっかりと実現する
生きる真意
生きる真意
誰と誰に届くのか
肝心なのは、届くことではない
届いても、伝わらないことが多い
では、伝えるにはどうしたらよいか
届ける
伝える
届けるには、汗が必要
伝えるには、真心が必要
真心とは何か
真心とは、真の心
銭金の世の中
この世の中で、真心で生きる
伝えるために、真心で生きる
人間は、
迎える日々を真心で生き続けながら、
生きる真意を悟る
生きる真意、
それは、命の真意そのもの
最高潮への道程
最高潮への道程
限界までやってみよう
限界までやると、
限界は、実のところ、
決して限界ではないことがわかる
黙って限界までやってみよう
黙々と限界までやると、
その限界は、
単に、自分のものさしで決めた限界だったことに気づく
真の限界とは、
最初の限界である”第一の限界”を突き破り、
遥か遠くに見える”第二の限界”を指す
第二の限界の面前に辿り着き、
それを突き破ることは想像以上に難しい
難しいが、とにかく全力でやるしかない
人間は、第二の限界を突き破ったとき、
過去において経験したことのない最高潮の境地に入る
清貧の美意識
清貧の美意識
清らかでありたい
質素でありたい
清貧とは、
清らかで貧しいということ
無欲は美しい
貪欲は醜い
美しく生きるとは、
清貧の美意識に生きるということ
外見は華美
中身は空っぽ
人間は、
自分の中身が空っぽであることに恐怖を感じたとき、
本質的な何かを会得する尊さを実感する
せせらぎの美しさ
せせらぎの美しさ
小川のせせらぎは美しい
せせらぎの美しさは、自然体で生きる人間の美しさを彷彿させる
せせらぎの音を聞いていると、時間を忘れる
時間を忘れるが、
同時に、”時間が止まることはない”という自然の摂理を教えてくれる
躊躇しない生き方は、
まさに、”美”そのもの
躊躇しないということは、心の中に曇りがない証
躊躇しないということは、心の中に何らの迷いもない証
曇りも迷いもない人間は、
常に、真っ直ぐに、自分が”自分で決めた道”を歩む
私は今、せせらぎの前に立っている
そして、改めて、
私自身、自分の命で刻み続けている一秒一秒の”重さ”と”尊さ”を実感する
理性の化身
理性の化身
埃に塗れた古書の一節に涙した
流したその涙の一滴は、単なる一滴か
それとも、太平洋の海水に勝る大量の水分なのか
賦与された理性で思考して流した”一滴の涙”
それは、ほんの一滴だが、
実は、巨大な一滴
一個の理性的存在者が流した一滴の涙は、
宇宙空間に現実に存在する”巨大なる理性的思考の化身”
人間は、理性の思考の偉大さについて、
無の状態で、自分の命の中に潜む”命の中心核”で捉えたときに初めて、
人間の命と、その命の根源の関係性について意識する