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自分自身がより多くの”心の痛み”を経験すればするほど、他人の心の痛みを理解できるようになるものだ。
2007年3月6日


静寂は、自己の真の姿を再認識させてくれる。
2007年3月1日


悩みがあるということは、実は、極めて幸いな事実である。
2007年2月26日


一つの矛盾と、もう一つの矛盾が交錯すると、それらは矛盾でなくなってしまう。


不完全な存在者である人間には、”究極的な生き甲斐”など存在するものではない。


自分を積極的に”暗闇のど真ん中”に置いてこそ、真の思索が可能となる。


孤独と絶望に耐え抜いて初めて、何らかの光を見ることができる。
2007年2月25日


文章そのものだけでなく”行間”を読む力を備えていなければ、筆者が本当に述べたいことを知ることは難しい。
2007年2月22日


門外漢が述べる真実は、時として、専門家が述べる真実よりも切実な説得力を備えていることがある。
2007年2月19日


人間は、理性的経験を積むと、考えることよりも、”感じること”の意義とその価値に気づくようになる。


幽玄の境地に、日本文化の美徳を深く感じる。


存在の価値は、”非存在の経験”を大前提として認識し得るものだ。
2007年2月17日


懐疑論を思考基盤とする哲学者が敬虔なキリスト者になることは不可能である。
2007年2月15日


苦味は、深遠なる思索へと導いてくれる。
2007年2月14日


主役の演技は、脇役の力量次第で見え方が違ってくる。


光そのものよりも”影”に意味がある場合もある。
2007年2月12日


背中にも役割がある。
2007年2月11日


諦めた時も吉日。
2007年2月9日


聖なる書は、本来、読んでいることを人に知らせることなく、自身の心の中で”聖読”する書である。


同じ相手に何度も同じ事をいう人の心理には、何らかの意味があるものだ。


人間は、本来、存在自体がいかがわしい。
2007年2月8日


毎日が、新しい反省の連続である。
2007年2月5日


人間は、心の中で”痛み”を感じながら自身の生き方を極めていく動物である。


たとえ価値ある助言を受けても、受けた本人がそれをどう扱うかによって、その助言の意味合いが大きく変わるものだ。
2007年2月2日


心と共に時を刻みたいものだ。
2007年1月29日


毎日、青空ばかり見ていると、時として、”青の素晴らしさ”に鈍感になる。


極めて繊細な人間でなければ、”鈍感”の存在価値などわかる余地も無い。
2007年1月28日


物事がわかっても、物事の道理がわかるとは限らない。
2007年1月24日


たいていの人は、真に価値のあるものに目を向けるよりも、”弱い自分にとって一番都合のいいもの”にすこぶる積極的に目を向ける。


自分がどう生きるべきかという問題は、どこの誰よりも、自分自身が一番良く知っている。
2007年1月23日


必要悪は、時として、必要”善”である。
2007年1月21日


扉と窓は、役割が違う。


識者から”知への道”に導かれても、そこで足踏みする者は、本当のところ、知に対する興味はない。
2007年1月20日


聞かないという行為も、ある意味、聞くという行為である。


この世の中には、”人格的”存在者はいても、(完全なる)人格者はいない。


様々な非理性的経験を積むと、真の意味での”理性の存在意義”がわかってくる。


他人の座敷に土足で上がれば、今度は、自分の座敷も他人に土足で上がられるものだ。
2007年1月19日


幽玄における美徳は、深遠なる思索の扉を開けてくれる。


一度忘れたものを再び思い出すと、その印象はかなり強いものとして残るものだ。


”形”で寄って来る人は、形が崩れると躊躇なく去っていく。
2007年1月16日


他者から”無償の気遣い”を受けたとき、その高潔さを理解できる人間でありたいものだ。


本来の社会通念を鑑みて、”放っておく”という対処法を実践することも、一種の意思表示としての役割を果す。
2007年1月11日


人間の性分を変えることは難しいが、それを改善することは可能である。
2007年1月8日


静けさは、心の中に優雅さを与えてくれる。
2007年1月5日


情よりも理を優先して大失敗しなければ、理よりも”情”を優先する大切さを認識できない。


自分自身が腹を決めて生きていない限り、腹を決めて生きている人の気持ち・心情を理解することは難しい。


道への”道”は、まさに目の前にある。
2007年1月3日


人間は、”痛み”を通して何かを学ぶ。


謙虚な姿勢で自分から学ぼうとしない限り、何年それを続けてもほとんど進歩することはない。


普通では滅多にない貴重な機会であっても、それが当たり前のように自分の目の前にあると、
大抵の人はその真価について目を向けようとはしないものだ。


人間は、長年における無駄の積み重ねを通して、ある種の妥当性に遭遇する。
2007年1月2日


浅さにも、確かに”深み”が存在する。


本来、人間という存在物が生きること自体、いかがわしいことである。
2006年12月30日


言わないということは、”言っている”ということでもある。


安易な思考で安易な計算・期待ばかりする者には、価値の”価値”などわかる余地もない。
2006年12月29日


人が、”本来の自分について知らなかった”ということに気づくことも、”知への道”の一形態と解することができる。
2006年12月23日


いつの世においても、人間は”争い”を求めて生きている。


人は皆、理屈としての道徳は知っている。だが、毎日、その一つひとつをしっかりと実行できる人はそう多くはない。


ある分野において相当な知識があっても、その本人が立派な人格者であるとは限らない。


真の意味での優雅さとは、”質素・貧しさ”の味覚を味わい、それを楽しめる感性に存すると、私は考える。
2006年12月21日


理性的思考の大切さは、何かを信じ込んで失敗しない限り、決して認識し得るものではない。


”経験した”という事実に対して頑固に固執するよりも、”その経験から何を気づくか”ということのほうが、より重要な問題である。
2006年12月20日










*以下は、現在、再編集中でございます。





尊厳ある人格の持ち主でなければ、その存在者を”理性的存在者”とみなすことはできない。





耳があっても、常に細心の注意を払って聞こうとする意思がなければ、その”聞く”という機能を十分に活用することはできない。

・・・2006年12月15日・・・





喜び・幸せの絶頂期においてこそ、深い思索をすることを忘れてはならない。





人間は皆、多かれ少なかれ、自分が置かれた立場から逃れたいという願望を持っている。





この世には”無償の愛”という愛は決して存在しないからこそ、この概念が存在し続ける意味がそこにある、と私は解する。

・・・2006年12月12日・・・





”無知の知”の真意を悟ったとするその有様もまた、”知”に対する冒涜である。





謙虚であろうと努める以上、実際は謙虚ではない。





真心を持って人と接すると、やがて何かが変わる。

・・・2006年12月8日・・・





人からどう思われようとも、”自分がこれだ”と思った道を歩むことが最も幸せな生き方である。

・・・2006年12月4日・・・





いかに能力・力量がある人でも、”一事が万事において物事を完璧にこなす”ということはないものだ。

・・・2006年12月3日・・・





愛されることばかりを望む者は、”自分から人を愛する”ということの素晴らしさを知ることはない。

・・・2006年11月20日・・・





人間関係は、結局、好きか嫌いかで決まる。





わからない人には、わからなくてもよいと感じる。

・・・2006年11月11日・・・





”ここだけの秘密だ”という話ほど、人は他人に漏らしたくなる心理状態に陥る。





非凡な存在者は”平凡さ”に価値を見い出し、凡人は”非凡さ”に価値を見い出す。





賢者は、探しても無ければ、”自ら創ろうとする知恵”を備えている。





暗記と応用は違う。





興味の持ち方で、相手の”知の奥行き”を測ることができる。

・・・2006年11月9日・・・





他人の気配りの価値は、自分がそれを受けている最中には、なかなかわからないものである。

(他人の気配りの価値は、後になってしみじみと感じるものである。)

・・・2006年11月5日・・・





ただ、不満を言うばかりでは、そこからは何も生まれない。

・・・2006年10月23日・・・





気づきというものは、感じるだけでなく、それを実行に移してみて初めて、そこに本当の意味が生じてくる代物である。





一日に、たった一つでも学べたものがあれば、それを”良し”としたいものだ。

・・・2006年10月20日・・・





今のこの一瞬も、そして、迎える次の一瞬も、決して当たり前に存在する一瞬ではない。

・・・2006年10月17日・・・





人間は、天賦的理性について、賦与されたその意味を知るだけでなく、”それをどう使うか”ということも考えなければならない。





心で痛みを経験することと、”心の奥底で”痛みを経験することは、実に異なる経験である。

・・・2006年10月10日・・・





一面だけを見て、熟慮することなしに全体をイメージする人は、勝手な思い込みに走りやすい。

・・・2006年10月5日・・・





自分が生きている以上、自分が関わった物事に終わりはない。終わりと思えるその様相は、何かの”始まり”を意味するものだ。

・・・2006年10月2日・・・





理性的判断ができなくなった時には、雑音もネオンも遮断して、もう一度心を落ち着けて考えてみよう。





意見を言うことと屁理屈を言うことは違う。





痛みを感じる言葉がいつまでも頭に残っているのは、ある意味、それが真実を突いた言葉であるからだ。

・・・2006年9月30日・・・





”苦い助言”というものは決して聞き心地のよいものではないが、苦ければ苦いほど、そこには愛情が満ち溢れているものだ。

・・・2006年9月29日・・・





人間の性(さが)を知ることは、人間の本質を知る上での第一歩となる。

・・・2006年9月19日・・・





気づきを得ても、それを実行に移さない限り、その気づきの意味を成すことはない。

・・・2006年9月18日・・・





言葉という代物は、十分を超えてあり過ぎるよりも、”もう少し欲しい”という状態のほうがいいのかもしれない。

・・・2006年9月17日・・・





たった一言の言葉の使い方を間違えて、人に対して想像以上の誤解を与えることがある。

・・・2006年9月16日・・・





外見上、神経質に見える人ほど、実際は、他人に対して頗る無神経な人である。

・・・2006年9月14日・・・





(生身の)人間が下す判断の内幕は、結局、”好きか嫌いか”である。





難しいことを一所懸命に取り組む人はたくさんいるが、簡単なことを一所懸命に取り組む人はほとんどいない。





前にも後ろにも何もなかったら、横を見てみよう。

・・・2006年9月7日・・・





見る力を養って初めて、”読む力”を備えることができる。





ものの真意を自分なりに味わうためには、それを丁寧に噛み締めることが大前提となる。





賢者は、言っても無駄だと感じる相手には、日常会話以外の話をしなくなるものだ。





自分がこれだと思う”指針”の中にある種の愛情を感じるならば、まずは心を込めてそれを感じ取り、自分の生き方において活用してみよう。

・・・2006年9月3日・・・





想像の世界であったものが現実の世界として移り変わったとき、

それに対する興味がさらに深まるか、あるいは、薄れるかで、人生における方向性・可能性が大きく変わる。





思考はもちろん大切だが、”思慮”も決して疎かにすべきでない。

・・・2006年9月1日・・・





その時にはわからなくても、時間が経つと、過去おいて人から受けた気遣いの価値がわかることがある。

・・・2006年8月31日・・・





美しい光は、目そのものが見るのでなく、”美しい何かを感じたい”と切望する心が目を通して見るのである。

・・・2006年8月27日・・・





間の取り方一つで、物事の伝わり方が劇的に変わる。

・・・2006年8月25日・・・





”理”と”情”のどちらを採るかと聞かれたら、迷わず、情を採ると答えたい。





”心情の叫び”としての憤りは、決して無価値なものではない。

・・・2006年8月22日・・・





時に不便さを経験すると、文明の利器の”価値”と”その使い方”がよりわかるようになるものだ。

・・・2006年8月21日・・・





人間の勘ほど、当てにならないものはない。

(勘が当たるという認識は、言うなれば、己を過信し過ぎた人間の思い込みであり、”驕り”の一様相である。)

・・・2006年8月18日・・・





人間の本性という観点から考察すると、”愛情と憎悪とは、紙一重である”ということが明確となる。

・・・2006年8月17日・・・





傲慢な姿勢からは経験の浅さを、謙虚な姿勢からは経験の深さを感じ取れるものだ。

・・・2006年8月15日・・・





行間を読む達人は、実際の生活では、”空気を読む達人”にもなれる。

・・・2006年8月14日・・・





自分の幸福度・満足度を決める張本人は、自分自身である。

・・・2006年8月9日・・・





ありきたりの常識にとらわれず、真正な常識を実践するところに”良識”が生まれる。

・・・2006年8月8日・・・





真の意味での謙遜の美徳を理解するためには、一度、いや何度でも、”傲慢さが呼び寄せる失敗”を経験する必要があろう。





人から愛される理性的存在者とは、”情”の大切さを踏まえた上で”理”を実践しようと努める人である。





物事の価値判断における”深さ”にはしっかりとした”深み”があるものだが、

一方では、価値判断における”浅さ”にも、大抵の場合、その”浅さの意義”が存在する。

・・・2006年8月6日・・・





どんなに修めても、”人間の学びというものは、結局、吹けば飛ぶような代物である”という境地を悟って初めて、

厳しく険しい学問の道を歩む価値が生じる。





眠れることは幸せなことであるが、逆に考えると、眠れないという有様も、ある意味で幸せなことなのではないだろうか。

・・・2006年8月4日・・・





情熱があるのはいいことだが、自分の能力を顧みず、バランス感覚のない行動に走り過ぎると、結局、うまくいかない。





人間は、”個人としての自分の力量”を再認識して初めて、地に足の着いた生き方ができるようになる。

・・・2006年7月26日・・・





どんな状況に直面しても、夢を持ち続ける限り道はある。

・・・2006年7月19日・・・





思った時が吉日であるが、踏ん切りがついた時もまた吉日。

・・・2006年7月17日・・・





”何も反駁(反論)しない”というその有様には、ある意味で、”諦めの意味合い”がそこに存在する場合がある。

・・・2006年7月13日・・・





苦しみを味わってこそ、その後の楽しさが何倍にもなる。

・・・2006年7月12日・・・





本来の自分がどうであっても、安易な考え方に傾向すればするほど、自分の価値がどんどんと安っぽいものとなっていく。

・・・2006年7月5日・・・





自分自身が苦しみを経験しなければ、他人の苦しみなど決して理解できるものではない。

・・・2006年7月1日・・・





人間は、気づきの無さで失敗して初めて、”気づきの大切さ”を実感する。

・・・2006年6月25日・・・




今現在、自分に何らかの不都合があるということは、”まだ野望がある”という証でもある。





勇気を持って真実を受け入れると、前に進むためのスタートラインに立つことができる。

・・・2006年6月17日・・・





何事も正直に話そうとする人間の”誠意”を理解できる存在者でありたいものだ。

・・・2006年6月5日・・・





同じ人物でも、どんな場所でどのように知り合ったかによって、その人物像が大きく変わるものだ。

・・・2006年5月31日・・・





この世の中には、物事の推移が読める人がいる一方、読めない人もいる、という事実を忘れるべきではない。

・・・2006年5月28日・・・





哲学する、という真の意味は、哲学者になるということではなく、”哲人”になるということだ。





迎える一秒一秒の価値と重さを感じながら生きていきたいものだ。

・・・2006年5月20日・・・





理性的存在者であろうとすればするほど、自分自身の愚かさについて深く認識するものである。

・・・2006年5月11日・・・





周囲の人々が一所懸命に頑張っているその姿は、自分の励みにもなるものだ。

・・・2006年5月10日・・・





話し方の技術は、”伝え方の技術”でもある。





極めて意識的に、知よりも”情”を優先する存在者でありたい、と私は考える。

・・・2006年5月8日・・・





心の中の思い出は、何物にも換え難い”人生における宝”である。

・・・2006年5月7日・・・





大切なことは、”自分はこうだ”と他人の理解を求めることではなく、他人の苦しみを理解するための”誠意ある愛情”を持つことである。

・・・2006年5月4日・・・





意外にも、深い思索を通して到達した境地よりも、”直接間接、感性で感じた境地”のほうが、より衝撃的に心に残ることが多い。

・・・2006年5月2日・・・





勇気を持って心の扉を開けてみよう。そうすれば、やがては新しい可能性が生まれるものだ。

・・・2006年4月28日・・・





素晴らしい出会いがあっても、心を込めてそれを育てなければ何の意味も生じない。

・・・2006年4月24日・・・





心の置き場所如何で、心の中の満足度が大きく変わる。

・・・2006年4月20日・・・





真心を基盤とするコミュニケーションを大切にしたいものだ。

・・・2006年4月16日・・・





いかなる問題においても、その問題の核心に迫ろうとすればするほど、そう簡単には表現できないものである。

・・・2006年4月13日・・・





いつの世でも、美辞麗句ではなく、”理”を説く言葉が人の心を揺さぶる。

・・・2006年4月12日・・・





縁というものは、基本的には、自らの意志で能動的に築いていくものだが、しばしば、何らかの因果関係の作用によって導き出されることもある。

・・・2006年4月8日・・・





仕事で成功する人が備える共通点は、”自分の仕事が好きだ”というその様相が本人の顔に書いてあるということだ。

・・・2006年4月4日・・・





明日よりも今日、今日の中でも、今、息をしているこの瞬間こそが、自分における新たな可能性をつくる。

・・・2006年3月30日・・・





”恐れる”という感覚を知っているという事実は、言うなれば、実に幸いな事実である。

・・・2006年3月28日・・・





正についての真の価値は、数多くの”負”を経験・認識しながら、実感としてしみじみとわかってくるものだ。

・・・2006年3月26日・・・





勇気を出して、自分の心の奥底に潜む本当の声を聞いてみよう。そうすれば、今の自分が一体何をすべきか自ずとわかってくるに違いない。

・・・2006年3月24日・・・





 一方的に他人から何かを得ようと思うより、自分から他人に何かを与えてみよう。

・・・2006年3月23日・・・





昨日までの人生において汗と涙で築いてきた所産があっても、今日からの人生は、言うなれば、まだ”白紙の状態”であるといえよう。

したがって、今日からの人生をどう色づけるかは、まさに今日の今現在、自分が一体どのような行動をとるかによって大きく変わるものだ。

・・・2006年3月21日・・・





闘う相手は他人ではなく、自分自身の”弱さ”と”無知さ”である。

・・・2006年3月20日・・・





毎日、”今日から新しい人生が始まる”と考えて朝を迎えてみよう。

・・・2006年3月18日・・・





同じ仕事をするにしても、自身の真心で取り組むか否かによって、中身の充実度が大きく変わる。

・・・2006年3月15日・・・





窓は、締め切っておくためにあるのではなく、必要に応じて開けるために存在するものだ。

・・・2006年3月12日・・・





人間は、常に何かを感じながら生きている動物である。





静かに”心の奥底からの声”に耳を傾けてみれば、今のあなたが一体何をすべきかについて明らかになるだろう。

・・・2006年3月11日・・・





理性(reason)について、それを”天賦的”(inherent)な能力であると捉える存在者は、

理性を一体どのように使うべきかについて深く認識しているに違いない。

・・・2006年3月10日・・・





簡単にお金を手にすればするほど、それを失うのも実に早い。





物事を一度にやろうと思わないで、毎日、少しずつでもいいからできることから取り組んでみよう。そうすれば、必ず前に進めるものだ。

・・・2006年3月6日・・・





真の意味で”哲学する”という行為は、天賦的理性を道具として、自己の心中に秘められたどん底の孤独感と闘うことである。

・・・2006年3月5日・・・





もの書きは、ものを書いて公の場で発表する以上、発表した自身の文章について責任を持たなければならない。

・・・2006年3月4日・・・





ある分野の専門家の話を聞いた後、”耳学問”として聞いた話を参考にしてしっかりと自己学習するならば、それは自分の血となり肉となる。

・・・2006年2月28日・・・





無意識に呼吸をするだけでなく、”意識的に”目の前の空気を吸ってみよう。

そうすれば、あなたは今、”あなた自身の意志で生きている”ということを実感できるはずだ。

・・・2006年2月25日・・・





親しい間柄だからこそ、お互いの間では言わないほうがよいこともある。

・・・2006年2月23日・・・





可能性とは、探し出すものではなく、理性的存在者としての”叡智”で自ら創り出すもの。





辛苦を経験すればするほど、ものの真価について理解できるようになるものだ。

・・・2006年2月21日・・・





受け入れるかどうかはべつとして、まずは丁寧に相手の意見を聞いてみよう。

・・・2006年2月18日・・・





優れた経営者は、社員が流した一滴の汗の重さを熟知している。

・・・2006年2月15日・・・





時には、酒に酔いたいと思うのはいいだろう。だが、うっかりと自分に酔ってしまっては、落ちてはならない落とし穴に落ちることになる。

・・・2006年2月13日・・・





意を尽くしても、”礼”を尽くさなければ事が順調に進むことはない。



自らの野心を全うするためのものでなく、”本質そのもの”を突くメッセージであるならば、遅かれ早かれ相手には必ず伝わるものだ。

・・・2006年2月10日・・・





人は、放っておかれて初めて、自分の思い上がりに気づく。

(人は、他人から親切にされればされるほど、相手の心の中の優しさが見えなくなる。)

・・・2006年2月9日・・・





”心ある丁寧さ”の価値は、それを受ける人にそれなりの経験と見識がなければ、なかなか理解されることはない。

・・・2006年2月4日・・・





成功する人に共通する最大の要素は、常に、”即、実行する”ということ。

・・・2006年2月3日・・・





活字文化の発展は、まさに人間の思考力と想像力を豊かにする役割を果たすものだ。

・・・2006年1月29日・・・





どんな人間でも、口でどう言おうとも、心の奥底では”何が善くて何が悪いか”という理屈を知っているものだ。

・・・2006年1月28日・・・





ただ単に喋るだけでなく、語り合える相手が真の友。

・・・2006年1月26日・・・





同じ事を伝えるにしても、言葉の選び方・表現の工夫次第で、それを聞く相手の印象は大きく変わる。

・・・2006年1月24日・・・





”人間は、何をどう学んでも結局何も変わらない”ということに気づいた時に初めて、真の意味での学びの境地に到達する。

・・・2006年1月22日・・・





世の中には、生きる喜びを味わうだけでなく、”生きることができる喜び”を味わいながら一瞬一瞬を迎える人もいる。

・・・2006年1月21日・・・





効率よく時間を使う方法を知っていても、”心の乱れ”があるとそれをうまく行使することはできない。

・・・2006年1月19日・・・





商品自体に相当な価値があっても、欲が先に出て”分不相応”な儲け方をしようとすると、大抵はうまくいかない。





遥か遠い世界に執着するのではなく、まずはできる事から始めてみよう。そうすれば、次第に前に進めるものだ。

・・・2006年1月14日・・・





何事においても、心を込める意義とその楽しさがわかる存在者でありたいものだ。

・・・2006年1月11日・・・





褒められているその事実が当たり前の事実であるならば、人はその事実を積極的に褒めることはない。

(簡単に褒められる以上、自分はまだまだと思って間違いない。)

・・・2006年1月7日・・・





本来、カネを払っても見たいと欲するものでも、タダで見放題ともなればその価値は大きく損なわれる。

(人間が判断するものの価値ほど、当てにならないものはない。)

・・・2006年1月5日・・・





カント的理性的存在者は、ステレオタイプ思考における”非理性性”に嫌悪感を覚える。





人間は、物質的な執着心が無くなった時に初めて、物事における重さ・軽さを悟ることができる。

・・・2005年12月22日・・・





一個の人間が一生涯のうちに出せるエネルギーは限られている。

したがって、人間は常に、”いかに効率よく自身のエネルギーを出すか”について考えるべきである。

・・・2005年12月12日・・・





同じ話をするにしても、相手に対する愛情があるか否かで、その伝わり方が大きく違ってくる。

・・・2005年12月11日・・・





針の穴に糸を通すことができない時は、一旦それを止めて、心を落ち着けて、深呼吸、そして”深思索”を試みてみよう。

・・・2005年12月10日・・・





素晴らしい出会いは時折ある。だが、それが確かな人脈になるかどうかは、相手に対する自身の誠意があるかどうかによって変わってくる。

・・・2005年12月9日・・・





どんなに話が上手な人でも、場の空気を読めなければ、聞き手の心を掴むことはできない。

・・・2005年12月7日・・・





「考える」ことは”意識的”・”積極的”に行う思索活動であるが、

「感じる」ことは自然体で”無意識”のうちに働く心理的作用である、ということができる。

(だからこそ、感じることは、意外にも、”真実”を物語っていることが多い。)

・・・2005年12月1日・・・





ある程度の人生経験を積んでくると、”可能性”という概念の存在意義についてより深くわかるようになるものだ。

・・・2005年11月28日・・・





借りた本を返さない人は、それを貸した相手の”気持ち”、そして、”その好意の尊さ”を考えようとしない。

・・・2005年11月27日・・・





人生を味わうか、それとも、人生の”味”を味わうか、それが問題だ。

・・・2005年11月26日・・・





昨日よりも今日、明日よりも今日。そして、まだ来ない一時間後よりも、”今現在のこの一時”をどう生きるかで人生は変わる。

・・・2005年11月24日・・・





人に対して勢いで言ってしまったことを後悔した時、最も威力を発揮する解決方法は、”自身の本当の気持ち”に素直になることである。

・・・2005年11月19日・・・





思考法と発想法は似て非なる概念である。

・・・2005年11月17日・・・





人間が発する一語一語の重さ・軽さは、人生における様々な経験を積まなければ決してわかるものではない。

・・・2005年11月13日・・・





毎日、違った気づきがあるからこそ、人生という代物は頗る面白い。

・・・2005年11月10日・・・





たとえ耳があっても、価値あるメッセージを聴こうとする前向きの意欲がなければ、どんな話を聴いてもそれが耳に入ることはない。

・・・2005年11月6日・・・





一見、精神的に強く見える人ほど、心の奥底においては極めてデリケートな感覚を持っているものだ。

・・・2005年11月4日・・・





”忘れる”という一連の脳の作用は、

ある意味で、”理性的存在者”としての人間にとっては実に幸いな作用であると解せられる。

・・・2005年10月28日・・・





言葉からではなく、お互いの”感性”でお互いを理解し合える友が真の友である。

・・・2005年10月27日・・・





発想の転換に優れている者は、嫌なことでも、”楽しもう・楽しもう!”と自分に言い聞かせて取り組んでしまう。

・・・2005年10月25日・・・





”本質的な心の中の叫び”というものは、それを意識する・しないにかかわらず、発する言葉の一語一語から確かに感じることができるものだ。

・・・2005年10月24日・・・





人種差別の悲惨さ・愚かさは、理屈上の認識だけでなく、実際に自分が経験して初めてわかるものである。





外見上、人の話を聞いていないふりをする人ほど、実際は良く聞いているものだ。

・・・2005年10月22日・・・





同じ言葉でも、使い方次第で、その意味合いが大きく違ってくる。

・・・2005年10月20日・・・





言うまでもないことだが、人間が生きる唯一の目的は、”絶え間なくやって来る一時一時を味わい、一時一時を楽しむ”ということである。

・・・2005年10月18日・・・





”合理的判断の概念”と”理性的判断の概念”とは、似て非なる概念である。

・・・2005年10月17日・・・





どんな些細な事の中においても、ある種のポテンシャリティーがあるものだ。

・・・2005年10月16日・・・





仕事において技術だけで勝負しようと考えている人は、時折、そこに”真心”を注入することを忘れることがある。

(真心のない仕事は、結局、うまくいかない。)

・・・2005年10月14日・・・





一つひとつが極めて小さい変化であっても、それが継続的に生み出されれば、”頗る偉大な躍進”となることもある。

・・・2005年9月30日・・・





ほとんどすべての人間は、自身の勝手な思い込みを判断基準として事物の価値を決めている。

・・・2005年9月23日・・・





読む力と読み抜く力は違う。

・・・2005年9月22日・・・





自分にとって痛い言葉を言ってくれる人こそが、真の友である。

(自分を褒めるだけの人は、本当は自分のことなど心配していない。)

・・・2005年9月21日・・・





過ぎ去った昨日よりも今日、まだ来ない明日よりも、

今日のこの一瞬一瞬を大切に生きることがより良い明日をつくる。

・・・2005年9月20日・・・





無駄三昧の時間の使い方を通して得た気づきもまた、価値ある気づきの一つとなる。

・・・2005年9月18日・・・





人間は皆、”出会いは素晴らしい”と簡単に言うが、

その反面、出会った相手と簡単に会える関係になればなるほど、最初に出会った時の感動・新鮮な気持ちを忘れてしまう愚かさを備えている。

・・・2005年9月16日・・・





人間は、自分の行動について反省する時、しばしば自身の足元を見ようと努める。

だが、ほとんどの場合、足元ばかりにとらわれ、足元を支える地面の存在意義について考えることはない。

・・・2005年9月15日・・・





営業の本質は、決して軽口の連発にあるわけではない。それは、自らの行動で流した”一滴一滴の汗の中”にあるのである。

・・・2005年9月12日・・・





今、すべてを忘れて、素の心で”素の自分”になってみよう。

そうすればきっと素の自分が一体何を望んでいるのか、何をしたいのかがわかってくるに違いない。

・・・2005年9月11日・・・





成長のための第一歩は、”自分自身の愚かさ”について気づかない愚かさを悟ることである。

・・・2005年9月10日・・・





知を愛する者における理性的距離感とは、

様々な具体的経験を介して、自然状態に近い境地において”極めて純粋な理性的判断”を通して導き出されるものである。

・・・2005年9月9日・・・





義務感で仕上げた作品が終わると、今度は、”権利意識を持って新たな作品に取り組む”という自分がここにいる。

・・・2005年9月6日・・・





”やるべきことをやらなければ前に進めない”という理屈は、言うなれば、誰でも知っている理屈である。

だが、実際、やるべきことを即、行動に移せる人は極めて少ない。

・・・2005年9月4日・・・





外見上どんなに愛想よく振舞っても、自分の心の中で少しでも「私のほうが偉いんだ・上なんだ!」と思ったら、

十中八九、その驕り・高ぶりはその相手に伝わる。

・・・2005年9月1日・・・





”出会いの素晴らしさ”というものは、次の日になってしみじみと感じるものだ。

・・・2005年8月28日・・・





理解したと信じ込んだ時点で、”本当は理解していない”という証となる。

・・・2005年8月26日・・・





(伝達するための)技術よりも、”心”を大切にしたコミュニケーションを図りたいものだ。

・・・2005年8月24日・・・





朝、目が覚めた時、すぐに起き上がれるという事実のありがたさは、それができない状態にならない限り決してわかるものではない。

・・・2005年8月19日・・・





ある時期において足踏みしていたとしても、発想の転換次第で、そうした時間的空間も”確かな学びの経験”となり得るものだ。

・・・2005年8月14日・・・





たとえ話し上手でも、”対話上手”でなければ意味がない。

・・・2005年8月11日・・・





理性的存在者としての能天気は、「能天気と神経質は紙一重だ」という”極めて微妙な境地”を悟っている。

・・・2005年8月10日・・・





どんなに美辞麗句を並べても、相手との会話における呼吸を合わせない限り、発する一語一語が生きることはない。

・・・2005年8月9日・・・





途轍もない寂しさに思い悩まされた時、

ただ単にそれを紛らすことだけにエネルギーを注ぐ人は、決して”真の自己”を見つめることはできない。

・・・2005年8月8日・・・





会わなくても、お互いの心の中で会話できる相手こそ、真の友である。

・・・2005年8月4日・・・





ビジネス・マナーの問題は、ビジネスパーソンとしてビジネスを行う以前の”最も基本的な問題”である。

・・・2005年8月1日・・・





賢者は、自身の経験則で、

「(不完全な存在者、即ち人間の)”勘”という代物ほど、当てにならないものはない」という”識見”を備えている。





勝手な思い込みこそが、最大の危機である。

・・・2005年7月27日・・・





コミュニケーション術に長けている人は、相手に緊張感を与えるよりも、相手の緊張感を和らげることにエネルギーを注ぐ。

・・・2005年7月25日・・・





”他人の家の奥座敷に平気で土足で上がり込む”という無神経さを続ける者は、確かな信頼関係に基づいた人脈を築くことなど不可能に近い。

・・・2005年7月24日・・・





ほんの少しだけでも物事に対する捉え方を柔軟にすれば、自分における可能性が劇的に広がっていく。

・・・2005年7月20日・・・





できる人は、次の次を想定しながら、次を考える。

・・・2005年7月10日・・・





本当に人を見ている人は、外見上は、見ていないように振る舞うものだ。





人との出会いの真の意味は、時として、後になってしみじみとわかるものだ。

・・・2005年7月9日・・・





できるか・できないかではなく、”やるか・やらないか”で人生は大きく変わる。

・・・2005年7月4日・・・





ありのままの心に従う自分として生きる人の瞳は、何よりも美しい。

・・・2005年7月2日・・・





我というものは、張れば張るほど惨めな結果を招く。

・・・2005年6月27日・・・





自分で泳ぐよりも、他人を泳がすほうがより難しい。

・・・2005年6月26日・・・





戦術だけでなく、”戦略”に優れている者がビジネスを成功に導く。

・・・2005年6月25日・・・





世の中には”木を見て森を見ず”の人は確かに存在する。

そして残念なことに、その中には、森の中の”木”すら見れない人も少なからず存在する。

・・・2005年6月23日・・・





今、考えてみよう。山登りした後の水はなぜうまいのか、ということを。

・・・2005年6月19日・・・





後になって真意がわかった後で後悔するよりも、今現在において、勇気を出して自分の心を開くほうが賢明な生き方である。





楽な道を率先して歩もうとする人間は、

目の前に安易な道があってもあえてそれを回避し、より困難な道を歩もうとする人間の心内など理解できるものではない。

・・・2005年6月18日・・・





考えたその時こそが、それを実行する最高の好機である。





個々人の価値を見抜く力のない人は、いい縁の活かし方を知る余地もない。





人間は、自分が直面している困難を克服して初めて、他人の苦労や優しさがわかってくる。

(自分自身もそれなりの苦労を経験しない限り、他人の苦労などわかるものではない。)

・・・2005年6月17日・・・





どんなに好きであっても、相手に対して完璧な姿・生き方を求めれば求めるほど、その相手の心は離れていく。

・・・2005年6月16日・・・





私は今、深く感じる。人生は結局、自分が欲していることをやるかやらないか、だと。

・・・2005年6月13日・・・





成功者は、”迅速な行動力がビジネスを成長させる”という理屈を、自らの経験から学んでいる。

・・・2005年6月9日・・・





人は、道がない場所に行ってみて初めて、

今までは自分の目の前に道があった、という”過去のリアル”についてじっくりと考えるようになる。

・・・2005年6月6日・・・





”気づきは自分の生き方を劇的に変える”という気づきこそ、最も影響力のある気づきである。

・・・2005年6月4日・・・





今日の今現在において、いかに思索し行動するかで、明日がどうにでも変わる。

・・・2005年6月2日・・・





命というものは、永遠でないからこそ、自らその尊さを維持できるのだ。

・・・2005年5月31日・・・





会社では、仕事そのものに悩む人より、人間関係に悩む人のほうが圧倒的に多いものだ。

・・・2005年5月30日・・・





字そのものだけでなく、”行間”を読めるようになれば、本を書いた作者の心の中がより良くわかるようになる。

・・・2005年5月27日・・・





今、私は切実に感じる。人類における”負の遺産”というものは、

極めて深刻な問題として一人ひとりの人間に直接的に悪影響を及ぼし始めない限り、

人間がそれに対して真正面から向き合うことはないであろうということを。

・・・2005年5月26日・・・





落ちるところまで落ちた時こそ、人生における最高のチャンス。

・・・2005年5月25日・・・





自分の身の程を知らずして他人にばかり要求している者は、”自分から他人に何かを与える”という素晴らしさの境地を知ることはない。

・・・2005年5月21日・・・





直感は、外れることが多い。

・・・2005年5月19日・・・





同じ言葉を述べるにしても、そこに”心”があるかどうかで、他人に対する伝わり方はかなり違う。





近くに寄らないことが、”責任ある優しさ”となることがある。

・・・2005年5月15日・・・





川の水は、常に流れているからこそ、実に美しく見える。





人を好きになるということは、”その人を嫌いになる始まり”でもある。

・・・2005年5月13日・・・





人の顔の表情には、その本人の過去における生き方・経験が実に良く滲み出るものだ。

・・・2005年5月12日・・・





生き方上手は、”この人、感覚が違うな!”と感じる相手と出会った時、その違いを嘆くのではなく、それを楽しんでしまう人である。

・・・2005年5月9日・・・





神経質な人の気持ちがわかる人もまた、神経質である。

・・・2005年5月8日・・・





人間は、常に何かを感じ、何かを(言葉で)発する存在者である。





雨が降った日には、単に不平を言うのではなく、”決して変えることのできないその有様”を楽しめる人間でありたいものだ。

・・・2005年5月7日・・・





言葉だけの優しさよりも、現実を踏まえた上での優しさのほうがより価値がある。

・・・2005年5月6日・・・





一見して、かなりの能天気に見える人ほど、その外見からは想像できないほどの辛苦を経験しているものだ。

・・・2005年5月4日・・・





学問の道とは、”人間がいかに無力なのかという認識の連続”を経験する道である。

・・・2005年5月3日・・・





”気づき”があるかないかで、個々の人間の人生は大きく変わる。

・・・2005年5月2日・・・




他人から受ける優しさの真価は、それを受けているその時よりも、ある程度の時間が経過した時のほうがより深くわかるものだ。

・・・2005年4月28日・・・





どんな人でも、毎日、自分なりにものを考え、何かを感じながら生きている。

・・・2005年4月22日・・・





疲労感は、発想法を変えれば、満足感にもなり得る。

・・・2005年4月21日・・・





”限りある不完全者”としての人間は、新しい何かを覚えるために古い何かを忘れる、という宿命を背負っている。

・・・2005年4月16日・・・





楽しいことだけでなく、辛苦を共にできる相手こそ、真のパートナーといえる相手である。

・・・2005年4月13日・・・





他人というものは、自分が思うほどには自分のことは見てはいないものだ。

(基本的に、人間は皆、自分自身のことで精一杯の毎日を送っている。)

・・・2005年4月11日・・・





安っぽい嘘は、結局、他者からの信頼感を損ねる。

・・・2005年4月4日・・・





黒があるから白が目立つ。

・・・2005年4月1日・・・





無責任な軽口よりも、責任のある行動で示したいものだ。

・・・2005年3月31日・・・





扉は本来、閉めるためにあるのではなく、開けるためにあるものだ。

・・・2005年3月30日・・・





生きる楽しさを味わえる人は、顔の表情が違う。

・・・2005年3月28日・・・





たった一度しかない人生を生きるのだから、”生きることの素晴らしさ”をひしひしと噛み締めながら時を刻みたいものだ。

・・・2005年3月25日・・・





見識・洞察力を備えた者は、謙虚な話し方をする人の背後には、非常に奥深いメッセージがあるということを知っている。

・・・2005年3月24日・・・





失敗をしないビジネス戦略を考える上で重要なことは、”仕掛けが軌道に乗っている時こそが最も危ない時である”ということだ。

・・・2005年3月22日・・・





経験が浅い人は”ある種の勘違い”をすることが多いが、それに気づく人は意外と少ない。

・・・2005年3月13日・・・





”夢”というものは、単に抱くためにあるのではなく、実現するためにあるものだ。

・・・2005年3月13日・・・





言葉が落ちてこなければ、落ちてくるのを待つのではなく、自ら率先して拾いに行ったらよいのではないだろうか。

・・・2005年3月12日・・・





人間は"言葉の使い方"を学びながら成長するが、物事の難しさを実感すると、今度は、"言葉の選び方"を学ぶようになる。

・・・2005年3月11日・・・





単に、正直な姿そのものが美しいのではなく、正直になろうとする”その心”が美しいのである。

・・・2005年3月10日・・・





神経質な人の気持ちが良くわかる人は、その人もまた神経質な人である。

・・・2005年3月9日・・・





自分自身の気持ちさえ新鮮さを保てば、毎日、チャーミングな感動を味わうことができる。

・・・2005年3月7日・・・





素晴らしい音楽は、確かな”心の栄養剤”となる。

・・・2005年3月7日・・・





同じ相手でも、出会い方によって、その印象はかなり違ってくるものだ。

・・・2005年3月2日・・・





今、この一瞬一瞬を精一杯生きてこそ、より良い明日を迎えることができる。

・・・2005年2月27日・・・





善の素晴らしさは、悪の悲惨さを知って初めて認識することができる。

・・・2005年2月26日・・・





人間は、社会的地位や財産にかかわらず必ず老いる。だったら、老いるのを嘆くよりも、老いるのを楽しもうではないか。

・・・2005年2月25日・・・





賢者は、自己を実現する上において、何をどう使うかということよりも、

”使ってはならないものは一体何か”という問題について極めて慎重に考える。

・・・2005年2月20日・・・





非理性的に他人の悪口を言えば、結局、自分自身も、他人から(非理性的に)悪口を言われることになる。

・・・2005年2月12日・・・





今日があるからこそ、明日がやって来る。

・・・2005年2月7日・・・





どんなに苦しい状況においても、事態を乗り越えるための突破口は必ずあるものだ。

・・・2005年2月5日・・・





時勢に先んずる人物は、崇高な見識に加え、普通の人の目では見えないものを見、次の時代を透視する鋭い洞察力に優れている。

・・・2005年2月4日・・・





賢者は、”経験の尊さ”を知っている。

・・・2005年2月2日・・・





人生の行く末というものは、自分の持ち味の活かし方如何でどうにでも変わるのではないだろうか。

・・・2005年2月1日・・・





自分さえ、他人に対する心の壁や無意味なこだわりを取り払えば、活動できる範囲はどんどん広がる。

・・・2005年1月29日・・・





今日しなければならない事について、今現在、直ちに取り掛かれるということは、実に恵まれた状態である。

・・・2005年1月26日・・・





敏感な感覚で”気づき”があるか否かで、人生における展開の幅がかなり違ってくる。

・・・2005年1月22日・・・





楽な道に身を委ねたほうがより簡単に生きることができるが、そのように生きれば生きるほど自分の可能性・将来性は狭まる一方となる。

・・・2005年1月20日・・・





目標を明確に定めて一秒一秒を大切にしながら生きている人は、発する一語一語が違う。

・・・2005年1月18日・・・





目の前の人に躊躇なく嘘偽りのない気持ちを述べる人は、”嘘偽りの無意味さ・はかなさ”を知っている人である。

・・・2005年1月15日・・・





心の中に”渇き”があるその有様は、実に幸いな有様である。

・・・2005年1月10日・・・





人間は、他者の存在の素晴らしさを実感した時、生きることのダイナミズムを再認識する。

・・・2005年1月9日・・・





人は、愚かな行為をした後に”その愚かさぶり”に気付く。

・・・2005年1月5日・・・





生きることは悩むことであるが、ただ悩んでいるだけでは決して前に進むことはできない。

・・・2005年1月3日・・・


賢者は、引き際にもタイミングを考える。
・・・2004年12月26日・・・


常に社会通念・一般道徳に基づいて生きている人は、いざという時に、落ちるところまで落ちなくて済む。
・・・2004年12月21日・・・


心不在のビジネスは、いずれは失敗する。
・・・2004年12月19日・・・


自分で仕掛けたと思っても、逆に、自分自身が仕掛けられていることもある。
・・・2004年12月16日・・・


”常に柔軟性のある考え方を持つべきだ”というスタンスを堅持し続けることもまた、柔軟な考え方ではない。
・・・2004年11月5日・・・


自分で決めたことを他人に伝えるのは頗る簡単であるが、それを実行に移すことは言うほどには簡単でない。
・・・2004年12月2日・・・


”学問の深遠さ・厳しさ”というものは、計り知れない努力と忍耐を経験し身に沁みて感じ取らない限り、決して実感できる代物ではない。


言動一致こそが、信頼関係を築くための重要な基盤となる。
・・・2004年11月29日・・・


哲学者のための哲学ではなく、”素人を導くための哲学”について探究するほうが、より価値があり、より難しい。
・・・2004年11月27日・・・


たとえ幼い子供でも、”何が正しく、何が間違っているか”という理屈を知っているものだ。
・・・2004年11月24日・・・


賢者は、”自身の身の程”を十分に認識している。
・・・2004年11月21日・・・


相手の寛容さ・優しさの価値に気づかず無作法に胡坐をかいてばかりいる人は、いずれはその人から相手にされなくなるものだ。


マンネリズムによる悪循環と闘う毎日を送ったことがなければ、”変化”の本当の価値・楽しさを味わうことはできない。
・・・2004年11月20日・・・


温かい笑顔で話している人ほど、実際は、自身の心の中で”ある種の試練”と闘っているものだ。
・・・2004年11月11日・・・


いい閃きがあったら、それをいかにして実現するかを考えてみよう。
・・・2004年11月9日・・・


人生は自然体で生きるのが一番いいのだが、この”自然に生きる”という生き方こそ、最も難しい生き方なのかもしれない。
・・・2004年11月7日・・・


人間の気づきというものは、猫の目ほどの狭い気づきでしかない。


価値あるメッセージが目の前にある時、”猫に小判だ”と言われない猫でありたいものだ。
・・・2004年11月6日・・・


人生の達人は、毎日の変化を楽しむ達人である。
・・・2004年10月30日・・・


思考力は、”尊厳ある存在者”として生きるために使う道具である。
・・・2004年10月26日・・・


言葉の重さを理解しない人は、常に人間関係を崩壊させる危険性を背負っている。
・・・2004年10月23日・・・


理性的存在者とは、”尊厳性”のある存在者である。
・・・2004年10月22日・・・


凡人が天才の心の中に入っていくことは不可能に近いが、逆に、天才もまた、凡人の心の中に入っていくことは容易ではない。
・・・2004年10月20日・・・


無意識のうちに、”もしかしたら危ないのではないか”と感じた時には、もう既にその負の作用は始まっているものだ。
・・・2004年10月12日・・・


人生、まさに、”一難去ってまた一難”であるが、その一難一難を楽しめる人間でありたいと思う。
・・・2004年10月10日・・・


心には心で接したいものだ。
・・・2004年10月8日・・・


何度”万策尽きた”と思っても、また再起すれば、新たな策は必ずある。
・・・2004年10月5日・・・


人は、他者から愛情を与えられすぎると、”その愛情の尊さ”を忘れることがある。


不必要に相手を疑ってしまうその心理作用は、相手の行動に依拠するものではなく、”自分自身の心の貧しさ”に依拠するものだ。
・・・2004年10月3日・・・


チャンスは、単にそれを待つのではなく、自ら作り出すもの。
・・・2004年10月2日・・・


社員が流す一滴一滴の汗が、会社組織の繁栄を生む。


今ここでもう一度考えてみよう。”他人の心の痛み”を理解するためには一体どうしたらよいのであろうか、という問題を。
・・・2004年9月29日・・・


異端の作家は、見方を変えれば、優れた哲学者である。
(2004年9月24日)


毎朝、”自分はたった今生まれたばかりだ!”と自分に言い聞かせてみよう。そうすれば、毎日、より新鮮な気分で生きることができるであろう。
・・・2004年9月22日・・・


”今現在、時間がある”というその事実は、最も幸いな事実である。


ほんの少しだけ勇気を持って、今まで閉ざし続けてきた自分の心を開きさえすれば、今までとは違った何かが見えてくる。
・・・2004年9月20日・・・


人によって感じ方が異なるからこそ、この人間社会を生きるのが頗る面白い。
・・・2004年8月16日・・・


真の愛の実践者は、人からどう愛されるのかという問題よりも、”人をどう愛するのか”という問題についてより慎重に考える。
・・・2004年8月12日・・・


他人から受ける無償の愛の価値は、それを与えてくれる相手がいなくなった時に初めてわかるもの。


自分自身の心に真っ正直に生きる人の瞳ほど美しいものはない。
・・・2004年7月30日・・・


この世に、生まれながらの悪人は一人もいない。
・・・2004年7月28日・・・


他人の心の中の凄まじい葛藤を理解できる人は、自らも心の中の葛藤と闘っている張本人でもある。
・・・2004年7月26日・・・


今日するべきことを今日のうちにしない人は、明日も、明日するべきことを明日のうちにすることはない。
・・・2004年7月25日・・・


滅多にない出会いがあったならば、勇気を持ってそれを育ててみよう。そうすれば、劇的に人生の方向性が変わるかもしれない。
・・・2004年7月23日・・・


心には心で応じる人間でありたいものだ。


本当に愛しいと思える人を大切にせずして、一体何のための、そして誰のための一生なのか。
・・・2004年7月17日・・・


道は必ずある。
・・・2004年7月16日・・・


悩みというものは、それを他人に言った時点で、本人にとっては大きな問題ではなくなっているものだ。
・・・2004年7月15日・・・


多様な人生経験を積まなければ、文化の真髄を理解することは極めて難しい。
・・・2004年7月13日・・・


闘う相手は他人ではなく、自分自身の”弱さ”である。
・・・2004年7月9日・・・


常に、”生きることの喜び”を味わえる人間でありたいものだ。
・・・2004年7月5日・・・


賢者は、どんなに物事がうまくいっていても、”控えめの美徳”について忘れることはない。
・・・2004年7月4日・・・


人間の愚かな側面の一つは、”自分が一番正しい”と思い込む偏狭な空間から脱せないところにある。
・・・2004年7月2日・・・


”川の水の流れ”の意味を理解できる人は幸いである。
・・・2004年6月30日・・・


できる人は、新しい出会いを新しい人脈にする技に長けている。
・・・2004年6月29日・・・


人間の本性を知った上でより善く生きようとしている人は、”いざ”という時に、頗る強い力量を発揮する。
・・・2004年6月28日・・・


動機があっても”やる気”がなければ前に進むことはできない。
・・・2004年6月27日・・・


”極めて稀な偶然”を単なる偶然と考えるほど、愚かな発想法はない。


無言でも、”心の中の呼吸”が一致する人がいるものだ。


人に対して、10年に一度しかないほどの”最高に素晴らしい出会い”を感じた時、なぜか果てしない空しさを感じる。
・・・2004年6月26日・・・


美辞麗句を並べることは誰にでもできる。だが、言った内容によっては、何らかの代償を払わなければならないことも起こり得る。


できる人は、「言葉の管理」に優れている。
・・・2004年6月22日・・・


人というものは、自分には決して手が届かないと思っていた世界があるきっかけで頗る身近な世界になると、
その”真価”を正しく評価することができなくなる。


人間は、”時間は決してお金では買えない”とわかっていても、また、時間を無駄にする。


”愛の尊さ”というものは、愛されなくなって初めてわかるもの。
・・・2004年6月20日・・・


できる経営者は、”個々人の労働力の重み”を十分に理解している。


生きる達人は、毎日の変化を楽しむ達人である。
・・・2004年6月18日・・・


同じものを学ぶにしても、学ぶ本人に謙虚な姿勢があるか否かで、その”学びの濃さ”が違ってくるものだ。
・・・2004年6月17日・・・


勘が鋭い人は、先の先をも読む。
・・・2004年6月15日・・・


真実の有様を知った時こそ、自分自身の力量を発揮する好機である。


仕事で成功するタイプの人は、他人に期待してばかりいるのではなく、自分自身の手で何かを作っていこうとする人である。
・・・2004年6月13日・・・


実行力こそが”成功力”。


他人から受けた善意について、果たして自分も同じことができるだろうかと考えてみよう。
そうすれば次第に、その善意の”重み”と”深み”がわかってくるものだ。
・・・2004年6月12日・・・


理性的思考を通して採った”正しい行動”は、最後には必ず”正しい評価”がなされる。
・・・2004年6月10日・・・


健康的な声の張りは、その本人の”やる気”を感じさせる。
・・・2004年6月8日・・・


プロレスラーでも、悩みがあれば胃がチクチク痛む。
・・・2004年6月6日・・・


注意深く思索しない人は、”後の祭り”という言葉の真意について、一連の流れが終わった”後”に理解する。
・・・2004年6月5日・・・


人間は、生きる者として悩み、悩む者として生きる理性的存在者である。
・・・2004年6月4日・・・


一度信用を失った者が、再度信用を取り戻すためには、最低限の条件として、これまで以上の努力をすることが必要となるものだ。
・・・2004年6月2日・・・


やる気がすべてを変える。
・・・2004年5月27日・・・


誠意あるコミュニケーションの蓄積が、価値ある人間関係を生み出す。
・・・2004年5月25日・・・


常識と社会通念を踏まえた会社経営をして初めて、組織統括をスムーズに行うことができる。


心ある振舞いをしようとすればするほど、”心の痛み・葛藤”も伴うことになる。
・・・2004年5月23日・・・


本当に仕事ができる人は、他人の言葉遣いがどうだと言う前に、自分自身の言葉の管理・使い方に最大限の注意を払う。
・・・2004年5月22日・・・


元気人間は、ちょっとだけ”寂しさ”を哲学するコツを知っている。
・・・2004年5月21日・・・


価値ある生産は、労働の長さからではなく、労働の”質”そのものから生まれる。
・・・2004年5月20日・・・


己の愚かさに気づかない愚かさこそが、最も愚かな有様である。
・・・2004年5月19日・・・


賢者の寛容さの”意味”と”深み”は、それがなくなった時に初めてわかるものだ。


思索することなく無責任に火をつける人には、火消し役の苦労を理解しようとする器量も心もない。
・・・2004年5月15日・・・


同じ対象物でも、自分自身の心の持ち方一つで、その存在価値がどうにでも変わる。
・・・2004年5月13日・・・


人間関係で失敗しない人の共通点は、常に、他人の気持ちを察することに最大限の注意を払っているということだ。
・・・2004年5月8日・・・


己の恥を知ることは、ある意味において実に幸いなこと。
・・・2004年5月7日・・・


”素敵だ!”とか”美味しい!”とか、物事に対して善意の気持ちで率直に言ってみよう。
・・・2004年5月3日・・・


”我を通す”という目的のために仕事をしても、何ら生産性のある労働となることはない。
・・・2004年4月22日・・・


生きる達人は、”一つの困難を解決し、また新たな困難に立ち向かう”という連続性を楽しむ達人である。
・・・2004年4月21日・・・


組織人でありながら組織人としての職責を果たそうとしない者は、いずれは自然淘汰される命運を背負っている。
・・・2004年4月20日・・・


毎日が、残りの人生における一番新しい出発点である。
・・・2004年4月19日・・・


休日の朝は、早起きすればするほど価値ある時間の使い方ができるものだ。
・・・2004年4月18日・・・


まず第一に、”自分が置かれた立場”をしっかりと把握することに力を注いでみよう。
そうすれば、今の自分は一体何をしなければならないのか、という問題が明確になるであろう。


仕事で成功する人は、常に、”目の前のリアル”を最優先させることに全力を尽くす。
・・・2004年4月14日・・・


喉が渇いている時、目の前に水があったならば、たとえそれが冷えていなくとも、飲まないよりは飲んだほうがマシである。
・・・2004年4月13日・・・


人間は、”神から与えられた理性”の使い方次第で、時間という存在を、”宇宙的規模の空間”にも”針の穴ほどの空間”にもしてしまう。
・・・2004年4月8日・・・


自らの口で言った分のことについて、それを達成する前に放り投げてしまう人は、言葉の重みどころか、”仕事の重み”すら理解してはいない。


社員一人ひとりの”経験・力量を基盤とした労働力の重さ”を理解して初めて、妥当な経営・組織統括をすることができる。
・・・2004年4月7日・・・


美味しいチョコレートも、食べ方の工夫次第でその味が変わる。
・・・2004年4月5日・・・


自意識過剰な人間は、すぐ隣にいるもう一人の自意識過剰な人間とは、決して良き友となることはできない。
・・・2004年4月4日・・・


”勘”の概念と”勘繰り”の概念は、基本的に異なる概念である。
・・・2004年4月3日・・・


組織を制する立場にある者は、いつ何時においても、自分の舌を制することに細心の注意を払わなければならない。
・・・2004年4月1日・・・


できる人は、ネガティブな経験をポジティブな自己啓発に転化させる知恵を備えている。
・・・2004年3月31日・・・


言葉ではなく”行動”で自己表現したほうが、他人に対して、よりパワフルな説得力を感じさせる。
・・・2004年3月30日・・・


”パーフェクトな存在者”として生きることができないからこそ、人間は、実に面白く生きることができるのではないだろうか。
・・・2004年3月28日・・・


素晴らしい出会いがあっても、”相手を思いやる温かい心”がなければそれを実らせることはできない。
・・・2004年3月27日・・・


人との縁というものは、ただ単にそれを大切にしようと思うだけではなく、
お互いの誠意の心をもって相互の関係を確実に発展させてこそ、本当の価値が生じるものだ。
・・・2004年3月24日・・・


常に、自分の目の前にいる人の幸せを念頭において話をしたいものだ。
・・・2004年3月20日・・・


”美を表現する”という技と、”美を感じさせる”という技は、それぞれ似て非なる技である。
・・・2004年3月18日・・・


できる人は、直感で、”これでは埒が明かないな!”と感じ取ったら、迅速に発想の転換を図り、素早く仕切り直しに取り掛かる。
・・・2004年3月16日・・・


”今現在、この一秒一秒をいかに良く生きるべきか”という問題こそが、今後の人生を左右する大きな要因となるものだ。
・・・2004年3月15日・・・


ほんのささやかな気配りが基となり、大きな幸せがやってくることがある。


あるきっかけで、今まで知らなかった世界を新たに知ることは、一つの”体験的な知”となり得るものだ。
・・・2004年3月13日・・・


生きることの素晴らしさを、もう一度考えてみよう。
・・・2004年3月12日・・・


”もうこれで十分”と感じる言葉より、”まだ少し足りない”と感じる言葉のほうが、他人の心を掴むことがある。
・・・2004年3月11日・・・


創作において最も致命的なことは、生み出す過程におけるマンネリズムに気づかないことだ。
・・・2004年3月10日・・・


素晴らしい本は、それを読破した後、”何らかの余韻”を感じることができるものだ。
・・・2004年3月9日・・・


仕事は結局、真剣勝負でやるかやらないかでその命運が決まるものだ。
・・・2004年3月8日・・・


理性というものは、人間が、”尊厳ある存在者”として生きるためにあるものだ。
・・・2004年3月3日・・・


時間は決してカネで買うことはできないが、人間関係もまた、カネで買うことはできない。


悩みがあるというその有様は、向上心があるという大きな証である。
・・・2004年2月29日・・・


自分の存在を”雑草”と思ってみよう。そうすれば、意味のないプライドやこだわりを持たなくて済むようになる。
・・・2004年2月28日・・・


できる人は、質問力ではなく、”答える力”を武器とする。
・・・2004年2月26日・・・


ほんの些細な油断が、極めて致命的な災いを招くことがある。


”たった一言の気配り”をしなかったことが、自分の評価を大きく下げる原因となることがある。
・・・2004年2月24日・・・


”自分の道を歩みたい”という強い意志さえあれば、道は必ずあるものだ。
・・・2004年2月23日・・・


素直な心が、強力なパワーの源となる。
・・・2004年2月22日・・・


言葉よりも、”目の輝きそのもの”が相手に真意を伝えることがある。
・・・2004年2月19日・・・


人生における一時期において、長年の経験と勘で”恐らく駄目だろう”と感じることがあっても、どうしてもそれをやらなければならない時がある。
・・・2004年2月17日・・・










一度始めたものを飽きずに続けることができるか否かで、他人との差が生じる。





(2004年2月16日)








朝、目が覚めて一番最初に考えたことが、

今、一番気になっている問題であるに違いない。





沈黙も、意思表示の一形態である。





(2004年2月15日)








今現在、楽な生き方をすればするほどに、

後の人生が辛く・苦しくなる。





「やれば必ず認められる。認められないのは自分に何か不足な点があるからだ」

という謙虚なスタンスで日々の仕事に取り組めば、

必ず前に進むことができる。





(2004年2月14日)








本当に偉い人ほど、他人に対する礼儀作法・配慮にエネルギーを注ぐ。





(2004年2月13日)








答えは、自分自身の心の中にある。





自分を”雑草”と思えば、何事においても事がスムーズにいく。





(2004年2月12日)








人は本当に、

”生きる”ということの素晴らしさ・面白さを知っているのだろうか。





(2004年2月11日)








大切なのは、

”心”で接しようとする”その心”である。





(2004年2月9日)








コミュニケーションにおいて大切な要件は、

どんどんと自分の意見を発しようとする積極性ではなく、

まずは相手の意見を聞こうとする謙虚な姿勢である。





(2004年2月8日)








”読み”が鋭い人は、

無意味な質問をすることはない。





理性的に生きることができるかどうかという問題は、

本人の年齢に何ら関係するものではない。





(2004年2月7日)








人間は、食べるために生きているのではなく、

(より善く)生きるために食べているのである。





(2004年2月6日)








心で仕事をする人の瞳には、常に素晴らしい輝きがある。





(2004年2月5日)








一つ嘘をつけば、

それを隠すために”またもう一つの嘘”をつかなければならなくなる。

注) 結局、最初から嘘をつかないほうが無難である。





一見、自分をほとんど見ていないと思える人ほど、

本当は”自分の心の中”を見てくれているのかもしれない。





(2004年2月4日)








組織の一員として働いている以上は、

まず第一に直属の上司との信頼関係を築くことが、仕事を成功させるための近道となる。





(2004年2月3日)








再出発する上において、”遅すぎる”という文字はどこにも無い。





(2004年2月2日)








普段の生活環境から離れてみると、

自分自身が”裸の王様”なのかどうかということがはっきりとわかってくる。





(2004年2月1日)








どんな会社組織においても、常識と秩序なくしては組織を維持することはできない。

したがって、それを大切にしようと試みない組織人は、

いずれは淘汰される運命を背負うことになる。





(2004年1月31日)








問題を打開して調子が良くなった時にこそ、

初心に返る意義がそこにある。





(2004年1月30日)








読書は、奥深い思索をするための基盤となる行為である。





(2004年1月28日)








理性的な思索をしようと試みたにもかかわらず、極めて非理性的な思索をした時に初めて、

”理性の本質”に触れることが可能となる。





(2004年1月27日)








できるビジネスパーソンは、

状況に応じて”沈黙上手”となることができる。





(2004年1月26日)








どうしても難局を打開することができない時には、

まずは自分自身の足元から見てみよう。





(2004年1月24日)








自分にも他人にも真っ正直に生きることこそ、

最も美しく幸せな生き方である。





(2004年1月23日)








本当に自分に自信がある人は、

そう易々と他人にその自信を感じさせることはない。





勘が鋭い人は、

会話の中の”たった一言”から相手の心の内を読み取ることができる。





(2004年1月22日)








真の理性的存在者は、

時折、”不完全な存在者として振舞う”という意義を認識している。





(2004年1月21日)








すべての経験は、前に進むための通過点となる。





(2004年1月20日)








組織を統括する立場におかれている者は、毎晩のように眠れない夜を送っているものだ。





(2004年1月19日)








雑談上手は、人の心を掴むのがうまい。





(2004年1月17日)








職場で何か納得のいかない事があった時には、

”子供というものは、出来の悪い子供ほど可愛い”という理屈を頭の中に思い浮かべてみよう。





(2004年1月16日)








時間がいかに貴重なものであるかということは、

自分にとっても他人にとっても同じ問題である。





(2004年1月15日)








”正しい”という概念と

”妥当性がある”という概念は異なる性質を持つものである。





(2004年1月14日)








相手の心を傷つけるための本音、相手の心の壁を取り払うための本音。

さて、一体どちらが”価値ある本音”であろうか。





(2004年1月11日)








顔それ自体は生まれつきのものだが、

”顔の表情”は、自分の生き方如何で大きく変わる。





(2004年1月10日)








組織のリーダーとして組織体を再構築する立場にある者は、少なくとも次の二つを備えていな
ければならない。

一つは、理性的存在者として斬新かつ実行可能なプランを構築する能力に優れていること、

そしてもう一つは、自身が”比類なき忍耐力”を備えていることである。





(2004年1月9日)








できる人ほど朝が早い。





(2004年1月7日)








道に迷ってしまったら、最初に歩き始めた道に戻ってみよう。

そうすれば、もう一度、どの道を選ぶべきか考えることができる。





(2004年1月5日)







真の賢者は、

自分を取り巻く他の者たちが常に妥当な方法で自己表現することができるよう、

日夜、自分の身の振り方について思案している。










自身が好む・好まざるにかかわらず、

すべての現実を受け入れる勇気を備える者が、

真の指導者として力量を発揮することができる。










(2004年1月3日)














数多くの辛苦を経験した人ほど、時折見せる笑顔が素晴らしい。










(2004年1月2日)














古今東西において、仕事で成功した人が備える共通点とは、

今日できることは今日のうちに実行する、ということである。





(2004年1月1日)








自分の本当の能力を知ることは、今の自分では決してわかることのない”将来の落とし穴”に落ちないための必要条件となる。
・・・2003年12月31日・・・


人間は、哀しい性に直面した時に初めて、真の意味で自分が置かれた立場を知る。
・・・2003年12月30日・・・


謙虚な姿勢は、次第に、自分の器を大きくする効果を持つ。
・・・2003年12月27日・・・


人生というものは、決して自分の思い通りにはならないからこそ、すこぶる面白く生きることができるのではないだろうか。
・・・2003年12月26日・・・


不平を言う前に、感謝する心を大切にすると何かが変わる。
・・・2003年12月25日・・・


多様な経験を積んで初めて、”美”と”美徳”は異なる性質である、ということを心底実感できる。
・・・2003年12月24日・・・


人間が持つ愚かな側面の一つは、ある存在者や存在物が身近になればなるほど、その存在価値について麻痺するということである。
・・・2003年12月24日・・・


味のある理性的存在者は、”時には意図的に”、非理性的な行動を採ることで物事を善処する技を備えている。
・・・2003年12月21日・・・


たとえ一つの難事が過ぎ去ったとしても、決して油断するべきではない。
・・・2003年12月20日・・・


何事においても、自ら積極的に行動しなければ何も始まらない。
・・・2003年12月18日・・・


人間は、魂の奥底から丁寧に”知”を愛して初めて、価値ある思索が可能となる。
・・・2003年12月15日・・・


今日できることを今日のうちにしようと試みない者は、明日になってもそれをすることはない。
・・・2003年12月10日・・・


自らの債務を全うしない個人や企業体がどんなに弁を振ったとしても、それは単なる戯言・絵空事でしかない。
・・・2003年12月9日・・・


自分の人生がそっくりそのまま映画になると考えたら、たとえ困難に直面しても頗る面白く生きることができるのではないだろうか。
・・・2003年12月7日・・・


知識というものは、備えているというその事実に意味があるのではなく、それを上手に活用するところに意味が生じるのである。
・・・2003年12月5日・・・


いかなる仕事においても、クオリティーの高いプロ意識を基盤として日々の業務に取り組まなければ、決して望ましい結果を出すことはできない。
・・・2003年12月2日・・・


幸せに生きている人に当て嵌まる共通点は、”何事においても、自分の気持ちに正直に生きている”ということである。
・・・2003年11月30日・・・


自分を包んでくれる優しい心が自分の目の前にあったら、素直にそれを受け入れてみよう。
・・・2003年11月29日・・・


実に些細な一言の言葉で、自分の信用がガタ落ちとなることがある。
・・・2003年11月28日・・・


自分の利益ではなく、他人の真の利益のために言葉を発する毎日を送ると、やがては何かが変わる。
・・・2003年11月27日・・・


生きる達人は、常に危機感を持っている人である。


真の賢者は、10のうち3しか知らない相手に4を言うのではなく、
10のうちのほんの1を言って、その相手をうまく納得させる器量を備えている。
・・・2003年11月25日・・・


人との出会いというものは、単に素晴らしいと思うだけでなく、”それを実らせること”に意味が生じる。


”素晴らしい友がすぐ近くにいる”というリアルに気づかないことも、人間の愚かな一面である。
・・・2003年11月22日・・・


自然な笑顔は、他人に対する気配りの象徴でもある。
・・・2003年11月20日・・・


いかなる会社組織においても、組織が得た利益を個々の社員に適切に配分しない限り、
社員が組織に忠誠を誓うということはまずない。


できる経営者は、経済社会の”生理”というものを熟知している。
・・・2003年11月19日・・・


自分にも他人にも正直に生きるということは、実に勇気を必要とする生き方である。


嘘をつくことは、実に簡単な行為である。
だが、嘘から始まる人との付き合いは、結局最後まで、”嘘だらけ"の付き合いとなってしまう。
・・・2003年11月18日・・・


自分が他人を信用するかどうかということを考える前に、”自分自身が他人から信用される人間であるかどうか”という問題について考えてみよう。
・・・2003年11月16日・・・


思い通りにいかない人生であればあるほど、”真の意味での生きるダイナミズム”を味わうことができるのではないだろうか。


考えても考えても何も出てこない時には、とりあえず美味しいコーヒーを入れて一休みしてみよう。
そうすれば、後で何か出てくるものだ。
・・・2003年11月15日・・・


”明るさ”の真の有様とその価値は、長い間、暗闇の中にい続けなければ決してわかるものではない。
・・・2003年11月13日・・・


人生の成功者でも、100のうち、100のすべてがうまくいっているとは限らない。


一見して幸福そうに見える人でも、他人にはわからない何らかの悩みを抱えているものだ。
・・・2003年11月12日・・・


人間は皆、互いに励まし、励まされて生きている。
・・・2003年11月11日・・・


自己本位な色づけをしないで、可能な限り物事の本質を見極めようとする人が、確実に前に進むことができる。
・・・2003年11月10日・・・


発想力・思考力のリズムは、心の中の”健康度”で大きく変わる。
・・・2003年11月9日・・・


哲学は、日々の現実の生活においてどう生かせるかで、その真の価値が決まる。
・・・2003年11月8日・・・


一昔前には、本を読んで深く感動し、涙を流す人がどこにでもいた。
・・・2003年11月7日・・・


人材こそが、会社組織の原動力である。
・・・2003年11月4日・・・


”そろそろ潮時かな”と思ったその瞬間、また、新たな目標が生まれる。
・・・2003年11月2日・・・


自分の会社の名前と組織力を後ろ楯にして、一個人に対して啖呵を切ることは実に簡単な行為である。
では、そのような人が、かりに今の会社を辞めて”一個人”となった時、果たして同じ相手に同じ啖呵を切ることができるであろうか。
(2003年11月1日)


早起きすればするほど、その日の気分が爽快になる。
(2003年10月30日)


他人から受けた好意について自慢する暇があったら、自分から率先して何かをやってみよう!


「受ける」よりも「提供する」という”前向き思考”が、人生を大きく変える。


モノを知りたいという知識欲は間違いなく是であるが、不当に他人のプライベートな情報を侵害するという行為は非以外の何ものでもない。
(2003年10月27日)


長年、ドロドロした世界で汗を流してきた人は、初対面の人の前では、決してその”ドロドロぶり”を相手に感じさせることはない。


笑顔が頗る素晴らしい人の中には、しばしば、その笑顔の奥に何らかのメッセージを持っていることがある。


技術的理性(artificial reason)を通して導き出した策を実行に移すことが、数字として、それをダイレクトに反映させる近道となり得るものである。
(2003年10月26日)


いいものが出ない時は、無理に出さないほうがよい。


「出さない」というその判断・有様も、ある種の意思表示である。
(2003年10月25日)


滅多にない素晴らしい縁に恵まれても、相手が投げた善意について、”同格あるいはそれ以上の善意”で受け止めようとしなければ、
その縁は本来の価値を無くし、やがては消滅することになる。
(2003年10月24日)


地球規模の幅広い視野を持ち、一方では、”針の穴よりも狭く小さな問題”について考える柔軟な発想法が、何らかの形あるものを築き上げる。
(2003年10月23日)


時には、耳を澄まして謙虚な気持ちで人の意見を聞いてみよう。もしかしたら、”今まで気づかなかった何か”がそこにあるかもしれない。
(2003年10月17日)


他人が丹念に作ったものを言葉で批判することは実に簡単である。
だが、批判する以上、”自分自身がそれと同じものを作れるかどうか”ということを考えるべきである。


常に他人から多くを期待し、多くを求める人ほど、”自分から他人に何かを与える”という発想はない。
(2003年10月13日)


ごく普通の生活をしている人が述べる教訓にこそ、より人間らしく生きるためのヒントが隠されているものだ。
(2003年10月11日)


押し方がうまい人は、”引き方”もうまい。
(2003年10月10日)


他人に対して気配りをすることは大切だが、他人が自分に対して行った気配りに気づくことも同じように大切である。
(2003年10月9日)


この世の中は、ある意味で”偽り”ばかりが蔓延っている。
真に重要なことは、単にそれを認識することではなく、
そうであることを認識しながらも、勇気を持って正しく生きようとすることではないだろうか。
(2003年10月8日)


無愛想なラーメン屋でも、味そのものが本物ならば、客はどんどんやって来る。
(2003年10月7日)


米を食べる時、無意識にそれを食べるのではなく、意識的に良く噛んで”独自性のある味覚”を味わってみよう。
そのような習慣を養えば、ビジネスにおける様々な場面において、
普通では気づきにくい”個々の持ち味・独自性”について見逃すことが少なくなるに違いない。
(2003年10月6日)


こだわりを他人に言えるようになったら、それはもう、こだわりではなくなる。
(2003年10月5日)


社会や組織においてリーダーシップを発揮するための第一条件とは、特定分野において深い見識があるということではなく、
”いかに優れたバランス感覚を備えているか”ということである。


商行為を行う以上、この世のすべての商品・サービスは、”水もの”である。


商行為の”生理”を知らずして、優れたビジネスを行うことはできない。
(2003年10月4日)


今現在を最高のひと時にすることが、より良い明日を迎えるための前提条件となる。
(2003年10月3日)


人間は経験を積めば積むほど強くなるのではなく、逆に、”頗るデリケートな存在者”になっていくのではないだろうか。
(2003年10月2日)


人間の”読み”なんてものは、大した代物ではない。
実際、しばしば、正しいと思い込んでいた”読み”が外れ、取り返しのつかない事態に陥ることさえある。


価値ある出会いを、単なる偶然と捉えてしまうほど愚かなことはない。


人生というものは、”素晴らしい出会い”をいかに捉え、それをどう実らせるかで、その後の行く末が変わる。


他人に嫌味を言えば、後に、自分も嫌味を言われる。
(2003年10月1日)


一番注意しなければならない相手は、他人でも組織でもなく、”自分自身の油断”そのもの。


何かについて閃いた時こそが、それを実現するための最高の出発点である。


世界中の成功者の共通点は、”閃いたら即、行動する”ということだ。
(2003年9月30日)


かつての封建時代のイギリスでは、人脈づくりに優れた荘園領主が他の領主と交流する時、相手の領主を一度は自分の屋敷に招待した。
だが、次に会う時には、”自ら相手の屋敷を訪れるか、全くべつの場所で会う”という社交術を備えていた。


事が自分の思い通りになっている時こそ、最大の注意と気遣いを要する。
(2003年9月28日)


できる人は、毎朝早起きして、会社に行くための”出陣式”を行う。
(2003年9月27日)


世の中には、相手が言っていることが嘘とわかっていても、愛情の表現として、”騙されたふり”をする人もいる。


経験の差異が認識の格差を生むということは、世の中の常である。


優れた知識や技術があっても、腹を括る覚悟がなければ本当の勝負はできない。


マンハッタンの隅々まで車で行ける者でも、日本で同じようにハンドル捌きができるとは限らない。


法に興味を持つ者は法を学び、法を知る者は、それを実践しその知識に身を委ねる。
そして、真の、「法の本質」を理解する者は、”決して、法がすべてを解決するわけではない”と悟る。


一生のうちで、本当の自分として愛した人が一人いたなら、”それだけで幸せだった”ということではないだろうか。
その相手と過ごした時間が60年でも、たった数日間でも。


人間の”勘”というものは単なる思い込みでしかないということは、ある程度の人生経験を積まなければ実感としてはわからないことだ。
だが、時として、それが当たるということも周知の事実である。
・・・2003年9月22日・・・


相手の顔の表情は、自分の顔の表情の鏡である。


今のこの一瞬を、精一杯味わおう。
・・・2003年9月21日・・・


苦しかったら、無理をしないで少し休んでみよう。休んでも、また歩ける道はあるのだから。
・・・2003年9月20日・・・


できる人ほど、他人を見る目に優しさが溢れている場合が多いのではないだろうか。
・・・2003年9月19日・・・


他人から当たり前の理屈を言われない人間になって初めて、一人前の社会的存在者になったということができるのかもしれない。
・・・2003年9月19日・・・


要領の悪さを、”美しさ”として捉えることができる者でありたいものだ。
・・・2003年9月18日・・・


まずはじめに、身の程を知ることが前に進むための第一歩となる。
・・・2003年9月17日・・・


文章を読む力を"読解力"と呼び、行間を読む力を"洞察力"と呼ぶ。
読解力は、文章を読むことで身に付けることができるが、
洞察力は、様々な経験を通して人間の性を肌で感じることなしには決して身に付けることはできないものだ。
(2003年9月15日)


信号が青になっても、歩こうとする自分の意思がなければ道を渡れない。
(2003年9月14日)


せっかく氷の入った冷たい水を用意しても、相手がそれを快く飲むとは限らない。
(2003年9月14日)


下手でも、それを全くしないよりは遥かに前進しているといえる。
(2003年9月13日)


地面の上を上手に歩けても、氷の上を歩けるとは限らない。
(2003年9月13日)


ため息は、つけばつくほど自分の存在価値を落とす。
(2003年9月12日)


最も愛する人を守ることができるということは、ある意味、”人生における最高の幸せ”といえるものではないだろうか。
(2003年9月12日)


ほんの一瞬の思い上がりが、取り返しのつかない致命傷を招くことがある。
(2003年9月11日)


人を見る目を持った人間は少なからず存在するが、"人を見極める目"を持った人間はそうはいないものだ。
(2003年9月10日)


商才に優れた者は、人から何らかの"心"を感じた時、
"感じたその心以上の心"を相手に返すことを商売における心得としている。
(2003年9月9日)


人が自分のためにうまいコーヒーを入れてくれた時には、笑顔で"うまい"と言ってみよう。
(2003年9月8日)


一億人の人が自分の外見を知るのと、目の前のたった一人が自分の心の中身を知るのとでは、
一体どちらに真の価値があるのだろうか。


もう長いあいだ調子が良くないという人は、思い切って好きなことを好きなだけやってみよう。
そうすれば、やがては何かが変わるに違いない。
(2003年9月7日)


一瞬一時を大切にする人は、単に時を過ごすだけでなく、時をじっくりと噛み、その美味しさを味わえる人である。
(2003年9月6日)


今ここで一つ、心に刻んでおこう。人間が一生のうちで出せるエネルギーの量は決まっている、ということを。
(2003年9月5日)


思い込みを"単なる思い込み"と考える者は、ある意味、穏やかな生活を送ることができる。


自他双方の思い込みを"個"だと捉える者は、"人間の本性"と真正面から向き合う運命を背負うことになる。


時として、どんなに心からの誠意があっても、"相手が肌で実感するほどの熱意"を示さなければ、自分の気持ちがうまく伝わらないことがある。
(2003年9月4日)


常に論理的に生きることだけに人生の価値を見出そうとする人には、情緒的に生きる"素晴らしさ"、"苦しさ"を理解することはできない。


何もわからないことに比べれば、十のうち一でもわかったなら大満足。
(2003年9月3日)


単に、正直な姿そのものが美しいのではなく、最も大切な人の前で正直になろうとする"その心"が美しいのである。
(2003年9月2日)


言葉が落ちてこなければ、落ちてくるのを待つのではなく、自ら率先して拾いに行ったらよいのではないだろうか。
(2003年9月1日)


安易な知識や情報を得ることよりも、"自分の愚かさ"を知るほうが真の「知」に到達するための近道となる。


神経質な人の気持ちが良くわかる人は、また同じく神経質な人である。


"あの時、ああすればよかった"と何年も同じことを言い続ける人は、たとえ10年経っても、また同じことを言い続ける人である。


今現在において、"実は私は人が嫌いである"と自称する人は、昔は、すこぶる人が好きだった場合が多い。


人間は"言葉の使い方"を学びながら成長するが、物事の難しさを実感すると、今度は、"言葉の選び方"を学ぶようになる。


足元を良く見てみよう。意外にも、今まで気づかなかったことがあるものだ。
(2003年8月31日)


痛みに耐える過程における"辛さ"とは、痛みそのものから感じるものではない。
その"真の辛さ"は、そこから生じる様々な波及効果を実感した時に初めて、心底からじわじわと感じるものである。


自らの債務を誠実に履行しようとしない企業が発する言葉は、結局、戯言以下の断片でしかない。


"忙しい"と毎日言うばかりでするべきことをしない人は、実は忙しいのではなく、それをしようとする気がない人である。


若き商人は、"押してなんぼ"という理屈を学ぶが、経験を積むと"引いてなんぼ"という理屈を学ぶようになる。
(2003年8月27日)


"冷静な判断"、そして"勇気ある決断"ができるか否かで、人生の行く末は大きく変わる。
(2003年8月26日)


無意味なこだわりに固執してちっぽけな自尊心を他人に押し付けていると、自分の器はさらにちっぽけになる。
(2003年8月24日)


自分の目の前に"最高の幸せ"があるという事実を認識しないことこそ、人生における一番の不幸である。


無責任に自分の外見を褒める人は、自分の"外見"にしか興味がない人である。


銀座や赤坂のバーでも、なかなかうまい酒を飲むことはできない。
だが、本当に話したい相手と飲む酒であれば、寂れた焼き鳥屋で飲んでも"最高にうまい酒"が飲めるものだ。
(2003年8月23日)


"人材が組織を繁栄させる"という経営理念を持たない企業体は、いずれは大沈没する運命を背負っている。
(2003年8月21日)


人間は、外で何らかの刺激を受けると、本来の自分に目覚める時がある。
(2003年8月20日)


言葉によって他人に誤解を与えてしまった時、人間は改めて"言葉の難しさ"を実感する。


人の心を傷つけるための本音ではなく、”人の心を気遣う”ための本音が言える人間でありたいものだ。
(2003年8月11日)


大切な人の前で携帯電話ばかり見ていると、相手の心はいずれは離れていくだろう。
(2003年8月10日)


たとえ今、最悪の状態であっても、数分後に、最高の一瞬がやってくるかもしれない。
(2003年8月9日)


"こだわりを持たない"というその頑固な姿勢も、一種のこだわりに違いない。
(2003年8月7日)


文明の利器に依存しない自分の姿こそが、本来の自分の姿である。
(2003年8月6日)


愚か者は、"自分の強さ"を相手に伝えるために本音を言うが、賢者は、"自分の弱さ"を相手に伝えるために本音を言う。
(2003年8月4日)


過去を振り返る行為には、過去において交わった人々に対する愛情が潜んでいるものだ。
(2003年8月3日)


与えられることを待つ人間より、自分から積極的に与えようとする人間のほうが"より幸せ"である。


人間は本来、”他者に何かを与える喜び”を実感しながら成長していく動物である。
(2003年8月2日)


"相手のためだったら死ねる"と断言できるほど相手が好きという気持ちは、相手と別れた後、しばらくしてから初めて気づくものだ。
(2003年8月2日)


何かに気づくことは、物事を理解するための第一歩となる。
(2003年8月1日)


伝えたい相手に伝えたいことが十分に伝わらない時は、もっと丁寧に伝えてみよう。
(2003年7月31日)


パンの味にこだわる人は、今日焼いたパンは今日のうちに食べるものだ。
(2003年7月30日)


本との出会いは、それを著した著者との出会いである。
(2003年7月29日)





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